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    2017.03.19 Sunday/ -/ / -/ -/ -/ -/ by スポンサードリンク

アニメがフランスに与えた「共感」と「恐れ」(3)

◆『水曜日のアニメが待ち遠しい:フランス人から見た日本サブカルチャーの魅力を解き明かす

1990年代中ごろから、日本アニメへの激しいバッシングによってアニメ放映量は激減する。バッシングの背後には、日本のアニメがフランスや西洋の価値観を脅かすという一種の「恐れ」があった。それほどに子供たちの日本アニメへの親近感は一般的なものになっており、フランスの若年層のアイデンティティ形成に無視できない影響を与えていた。日本アニメのヒーローは、フランスの作品にない独特の親近感をもって子供たちの世界や人間関係、価値観を変えていたのだ。

ところでバッシングによって日本のアニメが放送されなくなると、アニメファンはテレビから離れ、自分たちから積極的に作品を探し始めた。そしてファン同士のネットワー作りやコンテンツを輸入する出版社への要求が高まり、それらが組織化・現実化し,次第に大規模になっていった。

さらにテレビアニメが減るのと並行して、それに代わるもうひとつの巨大市場がフランスに誕生する。それは日本マンガだ。93年にはメジャー出版社から「ドラゴンボール」のフランス語版マンガが刊行され大人気となった。テレビに自動的に流れていたアニメを見ることができなくなり、それなら原作マンガを読んだ方がよいと自分から探すようになったのだ。

フランスにも「バンドデシネ」(BD)と呼ばれるマンガの伝統があったが、幼児向けか芸術的な大人向けが主流で、少年少女向けが抜けていた。その市場の溝に日本のマンガが広がった。アニメを奪われて作品に飢えていた少年少女たちが熱狂したのも当然だ。そして、それまでテレビから流れるアニメを受身で見ていたファンたちは、自分で作品を選び、購入したり輸入したりする積極的な消費者になっていった。

さて、こうしてフランスに広がった日本のアニメやマンガは、日本では想像できないようなある「働き」をなしていた。著者が生まれ育ったのは、パリの東に位置するトロシーというニュータウンだったが、ここはフランスの中間層と他国からの移民を融和させよういう国の政策が絡んで生まれた街だったという。それで彼の通った小学校は生徒の3分の1ほどが移民の子供で、他地域に比べ大きな割合だった。しかしそんな政策とは裏腹に自分の子供は移民と関わらせたくない親が多かった。

子ども同士は、ときにケンカをしてもそれほど移民を気にしていたわけではないが、移民を気にする親たちのギスギスした意識があり、子どももどこかでそれを感じていた。そんな中で、出身や人種の違いをまったく感じさせずに友人と語り合える話題が、日本のアニメだったというのだ。それを話しているときは、彼らへの恐れは乗り越えられていたと著者はいう。

そんな経験は、著者だけではなくフランスのあちこちで起きていたはずだという。たとえば彼の友人のアレクシーは、中学生のときに一人の移民系の「不良」に声を掛けられた。その彼に「ドラゴンボールの専門家は君だろう?」とストーリーの続きを質問され、びっくりしたけど、妙に自慢げな気持ちになったという。人種や世代を超えてこうした関わりを可能にしたのは、日本のサブカルチャーがもつ「共感」的な世界観だっただろう。アニメを通じて、自分が属する社会の価値観を乗り越えての、人と人との関係の可能性が感じられる。移民問題に悩むフランスにとって、アニメやマンガのもつこの生産的な側面は意外と重要な意味をもっているのではないかと著者は考えている。

一方で、フランスの少年少女たちが、フランスではなく日本のアニメやマンガに親しみを感じ夢中になり、アイデンティティ形成にまで影響を与えるようになると、日本では生まれ得ない問題も生まれると著者はいう。次回はこの問題を考えてみよう。

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アニメがフランスに与えた「共感」と「恐れ」(2)

◆『水曜日のアニメが待ち遠しい:フランス人から見た日本サブカルチャーの魅力を解き明かす

前回触れたように1978年にフランスのTVで「UFOグレンダイザー」が始まると爆発的な人気となった。それはなぜだったのか。日本では「マジンガーZ」ほどはヒットしなかった「グレンダイザー」がフランスで大ヒットとなったのは、登場人物へのフランス流の命名の工夫などの小さな改変が効果的に働いたというフランス側の要因もあったようだ。

しかし著者がとくに関心をだくのは、日本のアニメ「グレンダイザー」のストーリーがフランス国内やアメリカで作られた作品と根本的に違うという点だった。それはこの作品が見る者にもたらす感情的な没入感の強さ、一言でいうと「共感」できる度合いの強さだったと著者はいう。

それまでのフランスの子供向けアニメは、善人と悪人がはっきりしていて、親の代わりに物事の是非を教訓的に教えるような構造のものが多かった。ところが「グレンダイザー」では、登場人物らの意味や役割は固定的ではなく、ケンカ相手が親友になったり競争相手になったりして、その関係がつねに揺れ動く。

そして悪役さえ共感の余地が残されていた。悪人だがその人間性に共感できる人物、あるいは自分なりの理想を求める人物として描かれていった。「グレンダイザー」ではないが、「機動戦士ガンダム」の中の、敵でもあり英雄でもあるシャア・アズナブルがその代表だろう。

また主人公の設定も複雑で「グレンダイザー」のデュークは、自分の星から地球に来るとき、自分以外の星の住民はみな殺されて自分だけが生き残ったが、自分も重い死の病いを抱えるという運命を背負っている。見るものが自分のことのように「共感」できる主人公は、それ以前のフランスのアニメにはなかったという。

日本の多くのアニメは多かれ少なかれ、見るものを「共感」させる同様の力をもっていた。悪人さえも、もしかしたら友人になれたかもしれない人間性をもって描かれる。それらは、フランスの作品とは世界観が根本的に異なっていたのだ。

日本の製作者は日本の子供向けに作ったのであり、海外でどんな反応を得るかを作る段階で意識してはいない。しかしフランスの子供たちは、その日本的な世界観と物語に深く「共感」してしまった。それは、フランス社会にはこれまでなかった世界観だった。日本アニメへのバッシングは政治的なかけひきと絡み合って利用された面もあるが、その背景には、従来の西欧にはなかった異質の世界観に子供たちが没入していくことへの、フランスの大人たちの恐れがあったのではないかと著者は見る。

フランス社会は、ルソーの社会契約説やフランス革命以来、「個人の権利」という考え方を国の根幹に据える。自分にも他者にも個人の権利があるから、相手の権利を傷つけないかぎり自分を主張する自由と権利があるが、自分の権利を侵かそうとするものは、はっきりと「敵」とみなされる。そうであればたとえ王であろうと敵として断罪される。

ところが日本では、権利の主張よりも共感の雰囲気を重視し、共感への信頼によってコミュニケーションを作り上げようとする。他者との共感をベースに社会を成り立たせる日本人は、敵役にも共感できる側面を含ませ、それが自ずと物語の魅力や深みになるのだが、それは元来日本人がもっている世界観や価値観の反映である。日本人は「個人の権利意識が希薄だ」とよく言われるが、逆にフランス人は権利意識を主張しあうことにプレッシャーを感じており、日本人の価値観が新鮮に映るのかもしれない。

フランスのように個人同士も契約関係を基盤にする社会では、日本アニメのような共感をベースにする物語は圧倒的に異物であり、しかしだからこそ共感や感動の度合いが深く、面白かったのだと著者はいう。それはフランスや西欧世界が持つ世界観の欠陥を埋め合わせ、フランス人のアイデンティティーの欠けた部分を補う働きをもった。だからフランス人は、日本のアニメを見てある意味でホッとしたのだという。

以上の見方は、フランス人「オタク」の第一世代を自認する著者が日本アニメを夢中で見ながら育った体験を踏まえているので重みがある。しかし著者を含めた新世代の子供たちがアニメに夢中になればなるほど、親たちは危機感を感じた。その危機感の根元がどこにあるのか親たちが自覚していたかどうかはわからない。しかし、日本アニメの共感をベースにした世界観そのものが子供たちを夢中にさせ、しかもそれがフランス共和国の基本的な神話を崩しかねないという漠然とした「恐れ」が、極端なジャパンバッシングを引き起こしたと著者は見ている。

そして日本アニメへの激しいバッシングによってアニメ放映量は激減する。しかし皮肉なことにアニメに目覚めた子供たちは、その関心を日本のマンガに向け始め、結果としてフランスでは日本マンガの大ブームが沸き起こるのだ。

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「見えない資産」の大国・日本

◆『「見えない資産」の大国・日本

この本は、大塚文雄、R・モース、日下公人の三氏よる対談である。テーマは、長くソニーに勤務し、内外の関連会社で経営に携わってきた大塚文雄氏の「インタンジブルス(無形のもの、見えないもの)」という考え方をめぐって展開する。日本企業内の人や人相互の関係に含まれる見えない長所が、日本企業にとっての大きな資産であり、これからの日本経済に重要な役割を果たすという考え方だ。

現代は第三次産業革命が進行している時代という。第二次産業革命で、部品や製造工程の標準化が進んだが、そこに情報処理能力が加わって、製造業がさらに高度化するのが第三次産業革命である。この変化の中で、魅力的で高品質な製品を、必要な量だけ即座に生産できることがますます求められるようになる。

これは、「インタンジブルス」を常識として身につけている日本人、日本社会や企業にとって得意中の得意なことである。エリートが指揮、命令し、働く人が標準化されるアメリカなどにはない、働く人々が持っている目に見えない人間的な資産が「インタンジブルス」である。

具体的には、社員の一人一人がもっている道徳心、好奇心、改善や創意工夫の意識、仕上げに凝る、仲間を助けるなどの姿勢がいい例である。日本人は、自分を鍛え育ててくれるのがいい企業だと判断し、仕事を通して成長しようと考える傾向がある。隣の人間に無償で教えたり、逆に先輩に習ったりなど、制度化されない人間関係の中で受け継がれていくものも多い。これらは、目には見えないが企業にとっての貴重な資産と考えることができる。これらすべてが、独自の創造性を育み、ハイセンスな情報をともなった魅力的な超高級品を生み出すためのエネルギーとなるだろう。第三次産業革命の時代に、他国が真似のできない長所となるのである。

要するに日本社会や企業が元来もっていた個々の人間の資質とその関係という長所が、「インタンジブルス」として今後ますます重要な意味をもつようになるということだ。その意味で日本企業は、「インタンジブルス」の宝庫なのだ。しかし日本の「インタンジブルス」は誰もまだ深く分析していないという。

日本人にとって当たり前すぎることで、しかもあまりに豊富にありすぎるので、分析の対象になるとすら考えられなかったのかも知れない。しかし、これからはそれぞれがどれほど「価値ある資産」としてプラスの意味をもっているのかを、分析し、可視化し、体系化することがきわめて重要となる。分析され、その資産としての意味が自覚化されることで、その長所をさらに活かし、伸展させていく方法も見えていうるからだ。その分析・自覚化・方法かが、第三次産業革命を生き抜くための重要な戦略へとつながっていくだろう。

この本では、日本経済の発展や企業の経営の観点から、今まで自覚することのなかった日本の企業風土に含まれる見えない資産としての「インタンジブルス」を積極的に体系的に伸展させようという提言が語られている。私自身の関心は、日本という国あるいは日本文化全体について同じような自覚化、体系化を行なうことである。

 

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日本のユニークさの源泉・母性社会(1)

このブログでは、日本文化を「日本文化のユニークさ8項目」にまとめて、様々に論じている。そのうち第二の項目、「(2)ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し、縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきた」という特徴は、「母性社会日本」というカテゴリーのもとに論じている。

ところで、この「母性社会」という言葉については、ユング派の心理療法家・河合隼雄が、その著『母性社会日本の病理 (講談社+α文庫)』で使用し、その視点から現代日本人の心のあり方を深く洞察している。ただこの本については参考図書に挙げたり、短く触れたことはあったが、これを中心にして論じたことはなぜかなかった。ここで一度、この本に沿ってじっくり考える必要があると思った。この本の最初に掲げれられている論文「母性社会日本の”永遠の少年”たち」を中心に見ていくことになる。

人間の心の中に働いている多くの対立する原理のうち、父性と母性という対立原理はとくに重要だと著者はいう。この相対立する原理のバランスの具合によって、その社会や文化の特性が出てくるのだ。心理療法家として登校拒否児や対人恐怖症の人々と多く接した著者は、それらの事例の背景に、母性社会という日本の特質が存在すると痛感したという。これらの事例は、自我の確立の問題にかかわり、それが日本の母性文化に根をもつということだ。

母性原理はすべてを「包含する」特性をもち、包み込まれたすべてが絶対的な平等性をもつ。子供の個性や能力に関係なく、わが子はすべて可愛いのだ。しかし母子一体という包み込む原理は、子供を産み育てる肯定的な面と同時に、呑み込み、しがみついて、時には死にさえ到らしめる否定的な面ももっている。

これに対し父性原理は「切断する」働きを特性とし、すべてを主体と客体、善と悪、上下などに分割する。子供をその能力や特質に応じて峻別する。強い子供を選んで鍛え上げようとする建設的な面があると同時に、切断の力が強すぎて破壊に到る面ももっている。

世界の様々な宗教、道徳、法律などは、この二つの原理がある程度融合して働いているが、どちらか一方が優勢で他方を抑圧している場合が多い。著者は心理療法家としての経験から、日本文化が母性的な傾向が強いと認識するに至ったという。

その事例として著者は、自分が扱った男性患者の夢を挙げているが、ここでは省略する。ただ面白かったのは、それに関連して著者が、親鸞が六角堂参籠の際にみた夢を紹介していることである。夢の中で救世観音は語った、「たとえ汝が女犯しようとも、私が女の身となって犯され、一生汝に仕え、臨終には導いて極楽に生まれさせよう」と。何という母性的な観音だろうか。女犯を徹底的に受け入れ、許し、そして救済する。行為の善悪は一切問題にされず、あるがままに救われるのだ。キリスト教が、父性原理の宗教という特性をもち、神との契約を守る選民こそ救済するが、そうでなければ厳しく罰するのとは大きな違いだ。

ここで、数日前に取り上げた、遠藤周作の『切支丹時代―殉教と棄教の歴史 』(「日キリシタンはキリスト教をどう変えたか)を思い起こしてほしい。かくれキリシタンたちがキリスト教を、自分たちに合う様な母性的なイメージの宗教に変えてしまったこと。そして仏教も日本では長い間に母性的な性格が強くなっていくこと。六角堂での親鸞の夢は、仏教が母性的な宗教の極地至ったことを象徴しているかのようではないか。

さて、著者はこのように日本の社会を母性的な特質が優位な社会と見るのであるが、現代日本の社会的な混乱は、人々が母性的・父性的どちらの倫理観に準拠すればよいか判断が下せぬことにあるのではないかという。というより、その混乱の原因を他にもとめて問題の本質を見失っているところにあるのではないかという。私自身は、母性社会日本のユニークさやその利点を充分に自覚し、その良さを世界にアピールしながら、同時に父性原理とのバランスをとっていくことが大切だとかんがえている。次回以降、さらに著者の論を追いながら、私の立場からの考察も深めたい。


《関連図書》
神話と日本人の心、河合隼雄、岩波書店
中空構造日本の深層 (中公文庫)、河合隼雄
「甘え」と日本人 (角川oneテーマ21)
続「甘え」の構造
聖書と「甘え」 (PHP新書)
日本文化論の系譜―『武士道』から『「甘え」の構造』まで (中公新書)
人類は「宗教」に勝てるか―一神教文明の終焉 (NHKブックス)
山の霊力 (講談社選書メチエ)
日本人はなぜ日本を愛せないのか (新潮選書)
森林の思考・砂漠の思考 (NHKブックス 312)
日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)
アーロン収容所 (中公文庫)
肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見 (中公文庫)
日本人の価値観―「生命本位」の再発見

 

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宦官を拒否した日本(2)

◆「日本文化の選択原理」(小松左京)(『英語で話す「日本の文化」 (講談社バイリンガル・ブックス)』)(この論考は、もともとは1985年に講談社から出版された『私の日本文化論』シリーズ3冊のうちの一冊に収録されたものらしいが、今はすべて絶版で、そのかわり上の本に収録されている。)

日本は、かつては中国文明に、近代以降は西洋文明に強く影響を受け、その文明の多くを取り入れながら、文明の根幹となっているいくつかの要素は、不思議に拒んでいる。中国文明でいえば、宦官や、儒教の同姓不婚という原則、西洋文明でいえばキリスト教などだ。小松左京はその背後に「日本文化の選択原理」があるといい、「それまでの日本人の、ごく自然に形成されてきた感覚と合わないものは、上手に外してしまう、という余裕があった」から、そういう選択原理を働かせることが可能だったと主張するのだ。

ただ、その「日本人の、ごく自然に形成されてきた感覚」がどんなものだったかまでは小松左京は説明していない。以下でこの点を論じるが、これまでこのブログで触れてきたことと重複する部分もあることをご了承願いたい。

まずは、「日本文化のユニークさ8項目」の第2・3番目に関係する点である。

(2)ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し、縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきた。

(3)ユーラシア大陸の穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とも言うべき文化を形成し、それが大陸とは違う生命観を生み出した。

中国文明を本格的に受容するときに、日本人の「ごく自然に形成された感覚」が選択原理として働いていたとすれば、それは縄文時代から日本列島に住んでいた人々によって形成された感覚に違いない。だからこそ縄文時代に注目する必要があるのだ。

旧石器文化を人類史の第一段階とするなら、農業の開始とともに始まる新石器文化はその第2段階をなす。縄文文化は、土器を制作し定住していたという、明らかに旧石器文化にはない特徴をもっている。それでいながら新石器文化の本質をなすはずの本格的な農業を伴わないのだ。縄文時代の土器の制作量は、本格的な農耕をともなわない社会としては、世界のどの地域にくらべてもきわだって多いという。

しかも縄文土器は、大陸で発見された土器と用途の面で大きな違いがある。大陸での土器使用は、四大文明にも共通してみられるように、農耕によって得られた食物の貯蔵と盛りつけ、あるいは捧げもの用であった。これに対して縄文土器は、もっぱら食物の煮炊き用としてはじまっている。縄文文化が同時代の世界において特異であった理由のひとつが土器の使用の違いにあったのである。

新石器文化が農耕・牧畜の開始によって始まったことは、特定の食物を選択したうえで効率的に増産することだった。しかし同じ作物を集中的に栽培すれば増産は可能だが、天候不順などによるリスクは高くなる。これに対して縄文時代の人々は、自然界の多様なものを食べることによって食糧事情の安定化を図った。煮炊き用の土器が、自然界で食べられるものの範囲を大幅に広げたのである。煮炊き用の土器で、本格的な農耕が伴わなかったにもかかわらず食糧事情が安定し、その結果、定住が可能となったともいえる

縄文時代は、新石器文化の定住段階に入っても本格的な農耕をもたず、自然との深い共生の関係を1万数千年もの長期にわたって保ち続け、しかも表現力豊かな土器を伴う充実した社会を築いていたのだ。それは、中国文明流入以後の日本の歴史時代に比べ10倍近くも長い、世界史上でもユニークな時代である。縄文時代は、弥生時代から現代にいたる2500年間に比べても4倍から5倍も長い。あのエジプト文明でさえせいぜい5千年の長さだったのに比べると、これは人類史上まれなことである。

以上のように縄文時代は、人類史上でもきわめて特異な位置にある。その特異さ、その独特の生活形態と自然観、自然との関係の仕方は、その後の日本人にとっては消し難い「文化の祖形」となったのである。とすれば、その後に圧倒的な中国文明に接して影響を受けたとしても、縄文時代、さらに弥生時代へと受け継がれた「ごく自然に形成された感覚」がフィルターとなり、強烈な「選択原理」として働いたとして不思議はない。次にその「選択原理」をもう少し具体的に見ていこう。

旧大陸のほとんどの地域が農耕社会にはいり、イスラエルとその周辺地域から、ユダヤ教を中心に父性原理的な一神教が広がっていくなか、日本列島に住む人々は1万年の長きに渡って、豊饒な大地と森の恵み、豊かな海の幸に依存する高度な自然採集社会を営んだ。その宗教生活は、「母なる自然」を信じ祈る、きわめて母性的な色彩の濃いものであった。

旧大陸に比し、日本列島に生きた人々が古来、本格的な牧畜を知らなかったことは、日本文化のユニークさを特徴づける大きな要素になっていると思う。縄文人が牧畜を取り込まなかったのか、弥生人が牧畜を持ち込まなかったのか。いずれにせよ牧畜が持ち込まれなかったために豊かな森が家畜に荒らされずに保たれた。豊かな森と海に恵まれた縄文人の漁撈・採集文化は、弥生人の稲作・魚介文化に、ある面で連続的につながることができた。豊かな森が保たれたからこそ、母性原理に根ざした縄文文化が、弥生時代以降の日本列島に引き継がれていったとも言えるだろう。

一方、大陸の、チグリス・ユーフラテス、ナイル、インダスなどの、大河流域には農耕民が生活していたが、気候の乾燥化によって遊牧民が移動して農耕民と融合し、文明を生み出していったという。遊牧民は、移動を繰り返しさまざまな民族に接するので、民族宗教を超えた普遍的な統合原理を求める傾向がが強くなる。

さらに彼らのリーダーは、最初は家畜の群れを統率する存在であったが、それが人の群れを統率する王の出現につながっていく。また、移動中につねに敵に襲われる危険性があるから、金属の武器を作る必要に迫れれた。こうした要素が、農耕民の社会と融合することによって、古代文明が発展していったという。これはまた、母性原理の社会から父性原理の社会へと移行していく過程でもあった。

牧畜を行う地域では、人間と家畜との間に明確な区別を行うことで、家畜を育て、やがて解体してそれを食糧にするという事実の合理化を行う傾向がある。人間と、他の生物・無生物との境界を強化するところでは、縄文人がもっていたようなアニミズム的な心性は存続できないのだ。

牧畜を行わず、稲作・魚介型の文明を育んできた日本は、ユーラシアの文明に対し次のような特徴を持った。

)卉椶砲茲訖肯喃鵬を免れ、森に根ざす母性原理の文化が存続したこと。
家畜の去勢技術、その技術と関連する宦官の制度や奴隷制度が成立しなかったこと。
M桂劼篷卉椶般接にかかわる宗教であるキリスト教がほとんど浸透しなかったこと。
ね桂劼篷卉椶鯒愀覆砲靴拭⊃祐屬搬樟己の峻別を原理とした文化とは違う、動物も人間も同じ命と見る文化を育んだ。

今に至るまで生き続ける縄文時代の記憶。そのひとつは、豊かな「自然との共生」を基盤とする宗教的な心性である。たとえば、現代の日本人がもっている「人為」と「無為」についての感じ方をみよう。現代でも日本人は傾向として、意識的・作為的に何かを「する」ことよりも、計らいはよくない、自然のまま、あるがままの方がよい、という価値観をかなり普遍的に共有していないだろうか。また上のい妨られるような、人間と他生物を峻別しない生命観もあいまって、人工的に家畜を管理する去勢技術が流入しなかった理由の一つかもしれない。


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《関連図書》
ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)
古代日本列島の謎 (講談社+α文庫)
縄文の思考 (ちくま新書)
人類は「宗教」に勝てるか―一神教文明の終焉 (NHKブックス)
山の霊力 (講談社選書メチエ)
日本人はなぜ日本を愛せないのか (新潮選書)
森林の思考・砂漠の思考 (NHKブックス 312)
母性社会日本の病理 (講談社+α文庫)

 

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宦官を拒否した日本(1)

◆「日本文化の選択原理」(小松左京)(『英語で話す「日本の文化」 (講談社バイリンガル・ブックス)』)(この論考は、もともとは1985年に講談社から出版された『私の日本文化論』シリーズ3冊のうちの一冊に収録されたものらしいが、今はすべて絶版で、そのかわり上の本に収録されている。)

「日本文化の選択原理」とは、このブログのカテゴリーで言えば「いいとこ取り日本」にあたり、このブログで追求し続けている「日本文化のユニークさ8項目」のうち、第5番目に関係する。

(5)大陸から適度な距離で隔てられた島国であり、外国に侵略された経験のない日本は、大陸の進んだ文明のの負の面に直面せず、その良い面だけをひたすら崇拝し、吸収・消化することで、独自の文明を発達させることができた。

多くの論者が取り上げてきた日本文化の特徴だが、小松左京独自の視点もあるのでまずこの論考を短くまとめ、その上で、その選択原理とは何だったのかを私なりの視点で考えたい。

ふつう文明とは、その基礎にひとつの大きな原理があり、それに従って様々な社会システムや文化が成り立っている。日本も統一国家となるときにこのような文明の影響を受けているが、それはもちろん中国文明である。漢字の流入に続き、律令制や儒教も入ってきた。およそ1300年前のことである。ところが日本の場合、そのシステムのすべてを受容するのではなく、こちらの選択によってその大切な要素の一部を拒絶するのだ。たとえば、律令制度の重要な一部である、宦官や科挙の精度を受け入れていない。

律令制度の導入により、皇帝は血のつながった世継ぎを作らなければならないから後宮で何人もの妃をもたなければならない。日本にも後宮の制度は導入されたが、それを管理する去勢された男子・宦官の制度は日本だけが導入されなかった。宦官の制度の背景には、牧畜技術としての家畜の去勢技術があるが、この技術も日本には入ってこなかった。むしろ、家畜の去勢技術を知らなかったから人間を去勢する制度も持ち得なかったのかもしれない。

また儒教は積極的に学びながら、儒教の根本原則の一つである同姓不婚という制度は日本に入ってこなかった。これは、同じファミリーネームをもつ男女は結婚できず、また異なる姓の男女が結婚すると、互いにもとの家の姓を名乗るという制度だ。

西欧の近代文明やその制度を、非西欧諸国の中でも最も早く熱心に導入しながら、その根底にあるキリスト教そのものはかたくなに拒んでいるというのも、そのよい例だろう。

こうして見ると日本は、大陸の文明に強く影響されその多くを、あるいはそのほとんどを取り入れながら、文明の根幹となっているいくつかの重要な要素の受け入れを拒んでいるのがわかる。島国である日本は、外来文明による圧倒的な侵略、制服を経験したことがない。だから文明を主体的に「いいとこ取り」して受け入れることができた。つまり「それまでの日本人の、ごく自然に形成されてきた感覚と合わないものは、上手に外してしまう、という余裕があった」というのだ。

ただ、小松左京は、「日本人の、ごく自然に形成されてきた感覚」、つまり日本人が恐らくはほとんど自覚なしに行う取捨選択の感覚、その感覚の背後にどんな原理が働いているのかまでは論じていない。しかし少なくともそれは、中国文明導入以前から「自然に形成されてきた」、日本人独自の感覚であることは間違いないはずだ。私にはその選択原理こそが問題であり、しかもそれは「日本文化のユニークさ8項目」の他の項目、とくに次の2項目に関係しているように思われる。

(2)ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し、縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきた。

(3)ユーラシア大陸の穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とも言うべき文化を形成し、それが大陸とは違う生命観を生み出した。

では日本文化の選択原理がどのようなものであり、上の二つの項目にどのように関係するのかについては、次回に考察したいと思う。

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ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)
古代日本列島の謎 (講談社+α文庫)
縄文の思考 (ちくま新書)
人類は「宗教」に勝てるか―一神教文明の終焉 (NHKブックス)
山の霊力 (講談社選書メチエ)
日本人はなぜ日本を愛せないのか (新潮選書)
森林の思考・砂漠の思考 (NHKブックス 312)
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JUGEMテーマ:オススメの本


日本がキリスト教を受け入れないのはなぜか?

「日本になぜキリスト教が広まらないのか」という問いにまともに取り組んだ本はほとんどないのではないか。しかし、このブログでこのテーマを扱った記事へのアクセス状況から判断すると、この問への日本人の関心はかなり強い。関心が強いのにこのテーマを扱う本が少ないのも不思議だ。調べてみると、一冊そのものずばりのタイトルの本が見つかった。以下の本だ。

◆『なぜ日本にキリスト教は広まらないのか―近代日本とキリスト教』(古屋安男)

読んで見ると、キリスト教プロテスタントの牧師の立場から、近代日本とキリスト教の関係の様々な問題を扱った講演集で、その中の一章「日本とキリスト教」が、タイトルにあるような問題を論じている。キリスト教の牧師の立場から、つまり信仰と布教という関心からこの問題を扱っているわけだが、やはりその立場上、日本での布教活動の何が問題だったのかという関心に終始し、深い文化論的な視点からの考察はない。その意味ではあまり参考にはならないが、しかし、布教上の問題しか視野に入らず、日本文化の本質に迫るような視点がないことを明らかにすることで、私がこれまで考察してきたような文化論的な視点の重要さが浮かび上がるのではないかと思った。

日本のキリスト教徒が総人口のおよそ1%ということはかなり知られ事実だが、この割合は韓国に比べてはるかに小さく、共産主義の国といわれる中国よりも少ない。韓国は30%以上がキリスト教徒と言われ、中国も総人口の5%がキリスト教徒と推定されるという。

著者は、日本のキリスト教徒はなぜこうも増えなかったのかという問いに、明治以降の日本でのキリスト教受容のあり方から答えようとする。日本での最初のプロテスタント・キリスト教徒の多くは、佐幕派の武士階級であった。佐幕派であったため立身出世の夢を断ち切られた若者たちが、キリスト教の精神での日本の近代化を志したのだという。ピューリタンの精神が武士階級の人々にとって共感しやすい面があったのかもしれない。

しかし武士階級が最初の信者だったことが、その後のキリスト教の伝道の不振を招いたのではないかと著者はいう。教会は、武士階級を中心とした特権階級が集まるところとなり、庶民には敷居の高いところとなってしまった。韓国や中国では、まず大衆階級に入り、そこから中層、上層の階級にも広がった。ところが日本では、最初の信者の多くが武士階級であったため、上層にも下層にも広がらなかったというのだ。

もう一つ著者が挙げている理由は、多くの人が指摘している日本の「天皇制」だ。天皇制があるかぎり、キリスト教は広がらないというのだ。天皇制が、日本でのキリスト教の布教にとって最大の障害だと言われることは、著者自身、否定できないという。

ただ著者の場合は、日本の教会がもっと大衆的になれば信者は増えると希望的な観測をしている。日本では、キリスト教が武士階級をを中心とした知識階級にまずは入り、知識階級の宗教という性格を脱することができなかった。韓国や中国は大衆階級から上層部にも広がった。日本のキリスト教も教会が大衆的になることで、変化していくだろうというのだ。

日本にキリスト教が広まらない理由として、以上のような捉え方はきまめて表面的で、日本文化の本質への洞察が全く欠けているいることは、このブログの読者ならすぐに気づくだろう。

たとえば昨日アップした「キリシタンはキリスト教をどう変えたか」でも、遠藤周作の『切支丹時代―殉教と棄教の歴史 』に触れ、かくれキリシタンの信仰が、聖母マリア中心の母性イメージの信仰に変質してしまうことに触れた。これは、逆に言えば日本にキリスト教が広まらないことの本質的な理由を暗示している。つまり、あまりに父性的性格の強い唯一絶対神を信仰するキリスト教は、日本人の体質に合わないのだ。

それは、縄文時代の太古から日本文化を育んできだ土壌が、きわめて母性的な性格の強いものだからではないか。そのような土壌が、唯一絶対の父なる神を信じるキリスト教に対して拒否反応を起こさせるのだ。日本人の心には、縄文時代以来の自然崇拝的、多神教的な(全体として強力に母性原理的な)傾向が、無意識のうちにもかなり色濃く残っており、それがキリスト教など(父性原理の強い)一神教への、無自覚だが根本的な違和感をなしている。多神教的な相対主義を破壊するような一神教的な絶対主義が受け入れがたい。
詳しくは、このブログのカテゴリー「キリスト教が広まらない日本」を参照されたい。

ともあれ、プロテスタントの牧師という立場からこの問題を探ろうとしても、日本文化の根元に横たわる理由にまで思い至らないのは、無理からぬことかかも知れない。根本的な理由に目を向けてしまたら、キリスト教の布教者としては絶望するほかないからだ。

《関連図書》
ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)
日本の曖昧力 (PHP新書)
日本人の人生観 (講談社学術文庫 278)
古代日本列島の謎 (講談社+α文庫)
縄文の思考 (ちくま新書)
人類は「宗教」に勝てるか―一神教文明の終焉 (NHKブックス)
山の霊力 (講談社選書メチエ)
日本人はなぜ日本を愛せないのか (新潮選書)
森林の思考・砂漠の思考 (NHKブックス 312)
母性社会日本の病理 (講談社+α文庫)
日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)
アーロン収容所 (中公文庫)
肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見 (中公文庫)
日本人の価値観―「生命本位」の再発見
 

 

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かくれキリシタンはキリスト教をどう変えたか

◆『切支丹時代―殉教と棄教の歴史 』(遠藤周作)
◆「日本人の宗教意識」(遠藤周作)(『英語で話す「日本の文化」 (講談社バイリンガル・ブックス)』)

日本の文化的・宗教的伝統はどちらかと言えば、父性的な性格よりも母性的な性格が強いのが特徴だ。このテーマについては、「日本文化のユニークさ8項目」のうち、「(2)ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し、縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきた」という項目として、様々な観点から論じてきた。

近代化とは、西欧の科学文明の背景にある一神教的な世界観を受け入れ、文化を全体として男性原理的なものに作り替えていくことだともいえる。近代文明を受け入れた国々では、男性原理的なシステムの下に、農耕文明以前の自然崇拝的な文化などはほとんど消え去っている。ところが日本文明だけは、近代化にいち早く成功しながら、その社会・文化の中に縄文以来の太古の層を濃厚に残しているように見える。つまり原初的な母性原理の文明が、現代の社会システムの中に色濃く生残っているのだ。

その事実を、心理学者の河合隼雄は、古事記や日本書紀を読み解きながら『神話と日本人の心〈〈物語と日本人の心〉コレクションIII〉 (岩波現代文庫)』で、古代日本人の心理として語り、また心理療法家の立場から『母性社会日本の病理 (講談社+α文庫)』で、現代日本人の心理として語っている。また土居健郎は、現代日本人の甘えの心理を『「甘え」の構造 [増補普及版]』の中で分析し、日本人論の名著として名高いが、甘えの心理に見られる日本人特有の人間関係のあり方も、きわめて母性原理的な性格を現しているといえよう。


今回取り上げる遠藤周作の本は、いわゆる「かくれキリシタン」のキリスト教信仰の特徴に触れ、日本人の文化的・宗教的伝統の母性的な性格を描き出していて、きわめて興味深い。

作家・遠藤周作は、キリスト教への迫害が絶頂に達した頃のキリスト教に強い興味を示している。宣教師は日本を去り、教会も消え、日本人のごく一部がキリスト教をほそぼそと受け継いでいた時代である。宣教師がいないので、信者はキリスト教を自分たちに納得できるように噛み砕くが、それを是正するものはいない。日本人の宗教意識に合うように自由に変形されていくのだ。それがどのように変形されたのかに、遠藤周作の関心は集中したという。彼らが信じたものもはやキリスト教とは言えず、日本的に変形された彼らのキリスト教になっていた。仏教や神道の要素がごった煮のように混じり合い、キリスト教徒がふつうに信じるGODを本当に信じていたと言えるのか疑わしいと言うのだ。

しかも、彼らが役人の目をかくれていちばん信仰していたのは、GODでもキリストでもなく、実は聖母マリアであった。しかもそのイメージは、キリスト教の聖母マリアというよりも、彼らの母親のイメージが非常に濃かった。宗教画に見る聖母マリアというよりも、野良着を着た日本人のおっかさんのイメージであった。

言うまでもなくヨーロッパにおいてキリスト教は、母親の宗教というより父親の宗教という性格を強くもっていた。教えに外れるものを厳しく叱咤し、裁き、罰するイメージが強いのだ。それが日本では、いつのまにか母親の宗教に変わってしまう。もちろん聖母マリアは、カトリック信仰の中ではきわめて重い意味をもっているが、第一位ではない。その聖母マリアが、「かくれキリシタン」にとっては最重要の信仰の対象となってしまう。しかも日本のおっかさんのイメージに変形されてしまうのだ。父性原理の性格を強くもったキリスト教が、日本ではいつのまにか母性のイメージ中心の信仰に変わってしまう。日本文化の基底に、そうさせてしまう土壌があるからではないのか。

このような変化は、他の宗教での日本人の信仰の場合にも見られるという。たとえば、中国・朝鮮をへて日本に入ってきた仏教の場合も似たような変化が見られる。平安時代から室町時代には、仏教も日本人の歯で噛み砕かれ、次第に母性の宗教に変化していったというのだ。阿弥陀様を拝む日本人のこころには、子供が母親を想うこころの投影があるのではないか。

浄土真宗で「善人なをもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」といのも、見方によっては悪い子ほど可愛いという母親心理を表していると言えなくもない。ともあれ阿弥陀様には色濃く母親のイメージが漂っている。仏教も日本に流入して日本人に信仰されるうちに、かなり母性的な性格を強くしていったと思われる。

キリスト教にも仏教にも共通に見られる、日本での変化、つまりより母性的な性格のつよい信仰への変化、これは日本人の宗教意識の大きな特徴を表していると言えるだろう。もちろん母親の宗教という面は、キリスト教の中にもある。日本人だけに特有なのではないが、しかし日本の宗教には、この母性的な性格がとくに強く見られるのではないかというのだ。

遠藤周作のこの指摘は、日本人の宗教意識についてのものだが、それは日本の文化や社会の底流に母性原理的なものが色濃くのこっているという捉え方を、一面から強く補強する指摘だろう。

 

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軸のない日本文化の不思議と利点

◆『日本人はなぜ「小さないのち」に感動するのか 』(呉善花、ワック株式会社)

著者の呉善花は、韓国・済州島出身の韓国人だが、日本に長く住み、今は帰化している。その過程で、それこそ韓国人としての自分やその先入見を一切殺す思いで、日本への理解を深めていく。そのためだろう、著者の日本への洞察力はきまめて鋭く深い。また私たち日本人が、韓国人の考え方を理解する上でも、教えられるところが多い。ここでは、本の冒頭近くで触れている「軸のない日本文化」という捉えかを例にあげてみよう。


著者は、日本社会の軸となる考え方や価値観が容易につかめず曖昧なことが、外国人にとって日本がわかりにくいことの大きな理由となっているという。つまり、日本の社会や文化は、宗教、イデオロギー、文化を統合する絶対的な理念という観点から見ると、他の世界の国々に比べて、これといった軸のない、きわめて相対主義的な特徴をもっているといえるのだ。欧米諸国ならキリスト教、中東諸国ならイスラム教というように、その社会の中心となる軸がはっきりしている。韓国や中国も、社会生活の面では儒教が軸になっているのは間違いないだろう。

それに対して日本の社会はどうか。儒教が軸になっているとも言えないし、かといって「武士道精神」、「仏教」、「神道」、それらのいづれか一つとも言えない。「仏教、神道、儒教、武士道精神などが融合したもの」といったところで、日本人もピンとこないし、外国人にはますますわからないだろう。それでいながら、日本の社会や文化は、その固有の伝統を失わずに存続し、現代もなお、他の国や社会にない調和と秩序を保ち、その新旧の文化の魅力を世界に発信し続けている。

著者によると、たくさんの軸があってそのどれも中心軸とは言えないということ自体が、韓国人や中国人から見ると不安でならないという。韓国人に言わせると「これだけわけのわからない神々を信じている国が、これだけ近代化されている」ということが不思議で不気味に見えるらしい。そして韓国人の反日教育の中に、日本人は文化的に未開で野蛮な人々だという教え方があるという。彼らにとっては、八百万の神々を信じるような自然信仰的な宗教性こそ、非文明的なのだ。一方、韓国は、李氏朝鮮時代に朱子学以外のあらゆる思想を排除し、朱子学一本を軸として作られた国なのだ。そうした伝統的価値観は、現代の韓国人の中にも生きており、日本人を見下す意識の背景となっているようだ。

しかし、一般的な韓国人にはもちえないような全く別の視点から見れば、日本人が、その社会を束ねる軸となるような中心的な理念を持つ必要がなかったのは、その幸運な地理的、歴史的条件によるものとも言える。それは、私が追求している「日本文化のユニークさ8項目」で言えば、(4)(5)あたりにいちばん深く関係するだろう。「宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配」や「文化を統合する絶対的な理念」によって人々をまとめあげ、侵略してくる他民族と対抗する必要はなかったし、協力な絶対的な理念の軸がなくとも、島国のなかで自ずとひとつのまとまりあり社会が保たれたのだ。

翻って現代社会を見ると、宗教的な理念やイデオロギーの対立がどれだけ人々を不幸にしているか。頻発するテロや、難民流入にともなう摩擦の背景にも、社会や文化をまとめる軸相互のぶつかりあいが背景にある。日本人が、そうした宗教的な理念の軸を相対化して見ることができるということ、それでいてこれだけの近代社会を形成しえたということ。この事実は、こらからの世界のあり方に重要なヒントを与えるかも知れないのだ。

ここでは、著者の考察の触りだけを例として取り上げたが、彼女の鋭い洞察は、今深まっている日本と韓国の摩擦の、いちばん根元の部分に何があるかを理解する上でも、十分に意味があるだろう。

 

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日本人にとって聖なるものとは何か

◆『日本人にとって聖なるものとは何か - 神と自然の古代学 (中公新書)

著者・上野誠氏は、日本人が日本的だと意識している思考法の源流は、『古事記』『日本書紀』『万葉集』『風土記』に表れているという。これらの文献から古代的な心のあり方、正確には7世紀と8世紀の社会を生きた人々が聖なるものをどのように認識していたのかを明らかにすることが、本書の目的だという。

この本が興味深いのは、上に挙げたような文献を丹念に読むことによって、古代人が自然や神をどのように認識していたかを見事に浮かび上がらせているからだ。そして私自身の関心から興味深いのは、ここで描かれるような古代人の思考法から、文献的には検証できない縄文人の思考法がどうであったかを、ある程度推測できそうだ思われる点だ。

本格的な水田稲作文化が開始したとされる弥生時代の始まりを紀元前五世紀頃とするなら、縄文時代が終わったのは『古事記』が成立した紀元712年よりも千年以上も前だ。しかし一万年以上続いた縄文人の思考法が、この時代に消滅していたとは考えにくい。むしろ縄文人の心のあり方が基盤となってこの時代の人々の思考法が成立していたと考えるのが自然だろう。

多くの宗教学者が「日本の宗教は、その根底にあるものはすべて同じで、万物生命教というべきものであり、山川草木、山河大地も神仏である」と言い切るというが、そうした古代人の心のあり方は突然に出現したのではなく、一万年の長きに渡り「母なる自然」に抱かれながら生きた縄文人の心のあり方を基盤としているというべきであろう。

7・8世紀ごろに生きた日本人にとって、人もモノもすべてが霊的な存在だった。カミもオニも花も鳥も、要するにすべてが霊的・人格的存在だったという。たとえば著者は、『万葉集』の、天智天皇が皇太子時代に作ったとみられる歌を紹介している。

香具山は 畝傍(うねび)ををしと 耳成(みみなし)と 相争ひき 神代より かくにあるらし 古(いにしえ)も 然(しか)にあれこそ うつせみも 妻を 争ふらしき

香具山、畝傍山、耳成山の大和三山は、神代から互いに妻を争った。古もそうだったのだから、今も人は妻を争うのだという内容だ。これは現代人がするような「擬人法」ではなく、古代人の自然な発想ととらえるべきだという。生命あるものとないものとの垣根がきわめて低いのである。

生命あるものとないものの垣根が低いだけではない。神もまた垣根で仕切られていない。『古事記』に登場する神々は、山であり、木であり、風である。神々は、恋もし、妬みもし、罪を犯す。糞や尿や吐瀉物からもカミは生まれる。存在しうるすべてが神となり得え、無限にカミが生まれ続ける。

『古事記』の国土形成神話では、男女二神の性交によって島々が生まれたという。そしてイザナミノミコトは、火の神を産んで死ぬ。女性器が焼きただれて病み、嘔吐し、大小便を排泄して死を迎えた。その吐瀉物や排泄物からも、次々に神は生まれた。その神々は豊かな食物を生みだす女神であった。

ところでイザナミノミコトが産み落とした島々にはそれぞれに神名が記されているという。島産みは、同時に神産みであるということだ。島と神が対応し、地名と神名が対応する。そして、それぞれの土地に、それぞれの神がいる。地名があるということは、そこに神がいるということであり、その土地土地の神は「くにつかみ(国つ神)」と呼ばれた。

『万葉集』に「楽浪(さざなみ)の 国つ御神(みかみ)の うらさびて 荒れたる都 見れば悲しも」という歌がある。「楽浪(大津の宮のあった一帯)の国つ神のお心が、荒(すさ)んでしまって、荒れてしまった都を見るのが悲しい」という意味だ。土地の神の心が荒れれば、その土地もまた荒れてしまうというのである。

このように「人格」や「神格」があるように、土地にも「地格」というべきもの認められていた。その土地の霊を祀ることが重んじられるのは当然であったろう。このような考え方は、日本の宗教の根底にあって、現代でも多くの神社が、それぞれの地域の人々によって支えられているのも、そのような考え方が多かれ少なかれ受け継がれているからだろう。

以上は、著者の考察の一端に触れたにすぎないが、当時の文献に沿って古代人の心のあり方をあぶり出すという方法は、説得力がある。そして私にとっては、万葉の時代ですらこうなのだから、本格的な稲作農耕に至らず、周囲の自然により依存していた縄文時代の人々は、山川草木とともにいます神々とさらに生き生きと交流をしていたのだろうと想像させてくれるものであった。

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