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    2017.03.19 Sunday/ -/ / -/ -/ -/ -/ by スポンサードリンク

存在することのシンプルな感覚

トランスパーソナル心理学の代表的な理論家ケン・ウィルバーの膨大な著作のなかから、そのエッセンスを選び、テーマ毎に配列した本だ。ウィルバーの理論の核心的な部分が、ウィルバー自身の言葉で簡潔に紹介されており、ウィルバー思想へのよき入門書となるだろう。私自身、ウィルバーの思想の核心をもう一度確認するのに役立っている。

訳者も触れているように、ウィルバーの言葉は理論的な部分よりも、直接「スピリット」について語り、「スピリット」を指し示すときにもっとも輝く。本書は、そのような言葉が多く集められている。魂に直接訴えかけてくるような言葉が多いということだ。

たとえば以下は、いずれも『ワン・テイスト』からの引用だ。

「もしあなたが、この『自己』ないし『スピリット』を理解できないと感じられたら、その理解できないということに落ち着かれるとよい。それが『スピリット』なのである。」

「エゴというのは単なる事象ではなく、微妙な『努力』(何らかの目的を達成するための目標)なのであり、努力して切り捨てることはできない。それでは、あなたは一つの努力のかわりに二つの努力をもつことになってしまう。エゴそれ自体が神性の完全な顕現なのであって、それは切り捨てようとするかわりに、ただ自由のなかに安らいでいることがエゴに対処する一番良い方法である。」

この本を読んであらためて思ったことがある。魂の成長や覚醒、さらにひろく精神世界に関心のあるものにとって、ウィルバーの思想はきわめて貴重な全体的な見取り図の役割を果たしているし、これからも果たし続けるだろうと。もちろんこの見取り図をそのまま信じる必要はない。しかし、これまでここまで包括的な見取り図は存在しなかった以上、まずはこれをもって自らが旅に出ればよい。その上でもし見取り図に修正すべきところを感じだら、自分で修正すればよい。

ともあれほとんど地図らしきものがなかったところへ、きわめて広範で精度の高い地図が与えられたのだ。これまでは、こうした地図すらないところを手探りで進まなければならなかったのである。しかし、今はこの見取り図がある。その意味は、はかり知れず大きい。    

JUGEMテーマ:精神世界の本

自我と「力動的基盤」―人間発達のトランスパーソナル理論

この本でウォシュバーンは、人間の発達が、根源からの離反と根源へのより高次な回帰という螺旋状の道程に従うという見方(力動−弁証法的パラダイム)を提出する。根源からの離反の後に、根源を通してトランスパーソナルな統合の道へと折り返していくのが螺旋状の輪である。これに対してケン・ウィルバーは、まっすぐにより高次のレベルに上昇していく「構造−階層的パラダイム」という誤った見方をしているという。

彼によるウィルバーへの批判は参考になるが、一方でよく分からない部分もある。かんたんに言うと、無意識の全体を差すと思われる〈力動的基盤〉という概念がかなり曖昧なのだ。幼児期にそこから旅立つ〈力動的基盤〉と、超越においてそこに回帰する〈力動的基盤〉とが、まったく同じものとして扱われている。本当にそう言えるのかどうかは、前提とすべき問題ではなく、きちんと説明されなければならないと思が、ウォシュバーンはその説明をしていない。とすればこれこそ、ウィルバーに前−超の虚偽として批判されてしまうのではないか。

JUGEMテーマ:精神世界の本

カール・ロジャーズ入門―自分が“自分”になるということ

カール・ロジャーズ入門―自分が“自分”になるということ

現代日本の心理療法の世界にカール・ロジャーズが与えた影響は大きい。来談者中心療法というその方法だけでなく、その人間観、人間関係論、教育論など、多く の面で彼の思想から学ぶべきことは、なお多い。この本は、ロジャーズの生き生き とした人間的な側面を伝えるという意味でも、かっこうの入門書だ。

ロジャーズの著作としては、岩崎学術出版社から『ロージャズ全集』全23巻が 出版されたが、高価ですでに入手しにくい。インターネットで検索すると、ロジャ ーズが書いたもので手に入りやすいのは晩年の主著『人間尊重の心理学―わが人生 と思想を語る』 (1984、創元社)くらいか。その意味でも諸富氏の入門書は貴重だ。

私自身は、サイコセラピーを専門にするものではないが、ロジャーズから実に大 きな影響を受けてきた。またロジャーズに影響を受けたことが、その後仏教や精神 世界に関心を広げ、それらを学んでいく上での、重要な踏み台となったと感じる。 ロジャーズを学び、またカウンセリングを体験的に学習することが、「自分が"自分" になる」過程であった。まさに自分自身の中の成長しようとする《いのちの働き》 が、ロジャーズに共鳴していた。

諸富氏のこの本は、私もその虜となったロジャーズの魅力を充分に伝え、さらに ロジャーズ晩年のスピリチュアルな次元への目覚め、トランスパーソナリストとし てのロジャーズにも触れており、学ぶところが多い。

「自分が"自分"になる」ということの真意は、ロジャーズの次の言葉に端的に示 されている。 「私が自分自身を受け入れて、自分自身にやさしく耳を傾けることができる時、そ して自分自身になることができる時、私はよりよく生きることができるようす。‥ ‥‥言い換えると、私が自分に、あるがままの自分でいさせてあげることができる 時、私は、よりよく生きることができるのです」

こうして、現実の、あるがままの自分を心の底から認め受け入れた時、どのよう な変化が生じるのか。これもロジャーズ自身によって次のように表現されている。

1)自分で自分の進む方向を決めるようになっていく
2)結果ではなく、プロセスそのものを生きるようになる
3)変化に伴う複雑さを生きるようになっていく
4)自分自身の経験に開かれ、自分が今、何を感じているかに気づくようになって いく
5)自分のことをもっと信頼するようになっていく
6)他の人をもっと受け入れるようになっていく  

こういうあり方自体が、きわめてスピリチュアルな方向を指し示している。しか もロジャーズは、来談者中心のカウンセリングでの、クライエントの変化そのもの から、こうしたあり方を学んでいったのだ。

諸富氏によるとヨーロッパ諸国では後期ロジャーズの影響が比較的強く、ここ数 年とくに、スピリチャリティーの観点から、ロジャーズの思想と方法を再発見しよ うとする動向が高まっているという。

そうした動向の中心人物が、英国のブライアン・ソーン教授だという。彼はいう、 「セラピストが、宇宙で働いている本質的に肯定的な力を信じる能力と信念体系を 持つことが、クライエントの癒しに深い貢献をもたらします。」 ロジャーズ自身 が「治療的関係について、その関係はそれ自体を超えて、より大きな何ものかの一 部になる」と述べているから、こうした展開があって不思議ではない。

ロジャーズの基本的な仮説のひとつに「実現傾向」概念がある。あらゆる生命体 は、自らの可能性を実現していうようにできている。この世におけるすべての《い のち》あるものは、本来、自らに与えられた《いのちの働き》を発揮して、よりよ く、より強くいきるように定められている。ロジャーズは晩年に、この《いのちの 働き》が、宇宙における万物に与えられていると考えるようになった。

こうした思想は、日本人の感性にきわめて自然に受け入れられやすい。だからこ そ、ロジャーズは日本で何の抵抗もなく受容され吸収されてきたのだろう。しかし、 であるとすれば逆に彼にただ感性で共感するだけでなく、その理論としっかりと向 き合い対話することが必要だと、私は感じる。それが、私たちの思考の暗黙の前提 となっている何ものかに、しっかりとした理論的な表現を与える作業につながって いくだろう。

ロジャーズの魅力を、たんにカウンセリングやセラピーの世界だけに閉じ込めて おくのは、あまりに惜しい。

JUGEMテーマ:精神世界の本

対話 起源論

私は、岸田秀の本のなかの、とくに社会や歴史についての発言に強い関心をもっている。もともと精神分析や深層心理学が好きな上に、彼の「唯幻論」が、仏教の思想とかなり通じるものがあるからである。つまり、人間は本能が壊れて自然との直接的な関係をもてなくなったがゆえに幻想を介在させて世界に対応するほかなくなった。それが、「自己」、「言語」、「文化」の起源であるという。

人間が見る世界と自己が幻想に過ぎないとする点は、仏教が、凡夫の迷いの世界を迷妄であり、幻影であるとするのに通じる。ただ岸田は、その幻想から目覚める(つまり覚りを得る)ことの可能性を認めていないが。その点を除いては、彼の「唯幻論」にかなりの共感を抱いている。

この本は、「父の起源」「歴史の起源」「国家の起源」「近代の起源」「幻想の起源」について、それぞれの霊長類学者や歴史家との間で対話している。私はとくに「幻想の起源」(三浦雅士との対話)が非常に面白かった。唯幻論が出て20年以上を経て、学問の状況もかなり変化した。その変化を踏まえて唯幻論を再度検証しようという対話である。とくにチョムスキーの言語理論との比較検討が面白い。言語能力は人間に先天的なものであるとう理論と、本能が壊れたから言語を作ったという理論は、両立しうるのか、どうかという問題である。実際には、チョムスキーが言いたいのは、何語であれ、人間には言語を習得する能力があり、そこが類人猿とはちがうということである。だから、これは、社会言語学や岸田の理論の矛盾はしない。むしろ、言語が先か本能が壊れるのが先かという問題にからんだ議論の方が面白そうだ。

◆本能の崩壊と言語の獲得
《まとめ》岸田は、人間の本能が壊れたのが先で、壊れたから必要に迫られて言語能力が開発されたと考えている。しかし、どうして本能が壊れたのかを説明するのは難しいと岸田自身がいう。チョムスキーは、新人(クロマニョン人)の段階で普遍文法が、突発的に獲得されたと思っていたようだ。しかし、それがどうしてかについては、かなり神秘的な理由も想定していたらしい。

丸山圭三郎は、脳が異常発達して言語が発生し、その結果、本能が壊れたとする。しかし、ではなぜ脳が異常発達したのか、という困難な問題はやはり残る。

◆どちらが先とも言えない?
旧人(ネアンデルタール人)と新人との間には、言語能力に決定的な差があったとする説が多いらしい。とすれば、なぜクロマニョン人はそのように高い言語能力を持ったのか。本能の崩壊が先か、言語能力の獲得が先か。おそらくこれは、どちらが先とは結論づけられない問題だろう。

ただ、この問題の根底には、なぜ生命は進化するのかという進化論の問題が横たわっている。岸田のように本能が壊れたから必要に迫られてとするのは、何かしらダーウィン的な進化論をにおわせる議論のように思われる。なぜ脳は本能を壊すほどに異常発達したのか。もしかしたらそこに「突然変異」以上の何らかの意味があるのではないか。進化そものもを、ダーウィン的な見方から自由に見直すなら、全く別の説明の方法もあるだろう。

◆対話の面白さ
この本全体としては、父、国家、歴史、近代等についての「唯幻論」の大胆な仮説を、それぞれの専門家の意見と突き合わせて検証するという構成をとっており、すこぶる刺激的だ。その意味では、岸田が書いた本と同時に、それ以上にこのような対話本の方が、面白いかもしれない。今後も彼の対話本を読むのを楽しみにしている。  

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やさしいフォーカシング―自分でできるこころの処方

◆『やさしいフォーカシング―自分でできるこころの処方

フォーカシングとは、「からだを使って、自分の気づきを促し、こころを癒していく」現代心理療法のエッセンスを凝縮した方法だという。 ジェンドリンが、カウンセリングの成功例を研究しているときに、成功事例にはクライエ ントの側にある共通の特徴があることを発見した。それはクライエントが、面接のどこかで「話し方がゆっくりになって、言葉の歯切れが悪くなり、その時に感じていることを言い表す言葉を探し始め」るということ。自分の内側の「心とも身体ともつかない曖昧な漠然とした感じ」を確かめるように話していたのである。 この「内面の曖昧な感じに触れる」という内的な体験のプロセスをジェンドリンは、フォ ーカシングと名づけた。

このブログでも紹介した『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』の著者、トールは、 「自分の感情を知るのが難しいなら、からだの内面にあるエネルギー場に、意識を集中させてみましょう。からだを内面から感じるのです。これで自分の感情を感じることができるはずです」 といっている。

トールも、からだの内への気づきを重視しているのだが、フォーカシングは、それを誰もがいつでもできる取り組みやすい技法(わざ)として方法を確立した。心理療法から生まれでた、こうした細やかに洗練された方法を利用しない手はない。

「フォーカシングは、からだとの信頼関係を結んで、からだの気づきを通して、この自分自身の豊かな部分が伝えてくれる智恵に耳を傾けられるようにしてくれます。フォーカシングは、からだが大声で叫び出す前に、ささやいているうちに、そのささやきを聴けるようにしてくれます。フォーカシングは、内なる正しさの感覚にかなうよう、人生を変えていきます。」  

その変化は、おだやかでゆっくりしたものであるようだ。  

ヴィパッサナー瞑想も一瞬一瞬の体内感覚への気づきを重視するが、あわせてフォーカシングを学ぶことは、体験を深めるのに役立つのではないかと思う。  

自分のからだを観察して、何か感じをつかんだら、その感じをただそのままそこに置いておく。自分で判断を下したり、自分の感情を回避したり、なぜそう感じるのかを突きとめよ うとしても、結局同じところにとどまるか、もっと嫌な気分になるかだろう。  

「あなたの感情をあるがままに置いておくことができたなら、その時こそ、感じが変わるのです。変えようとすると、変わらないのです。」  

誰がやってもそれを感じ取り、意識の光にもたらす、つまりあるがままに置いておくおくことができるよう、ひとつひとつステップを踏んで進んでいけるよう、工夫されている。 私も、自分ひとりでいつでもどこでもできるフォーカシングの方法をぜひ学びたいと思っ た。文章はやさしく、説明はかゆいところに手が届くような細やかさだ。

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「ケータイ・ネット人間」の精神分析

◆『「ケータイ・ネット人間」の精神分析 (朝日文庫)

言葉は平易だが、分析は鋭く、現代日本人の顕著な心理的傾向を的確に分析する重要な本。ネットが人間の精神のあり方にどのような影響を与えているかという問にみごとに答えてくれる。 9年前の出版だが、現代日本の社会と人間関係を分析するための有効な手段としてますます価値が高まっている、と感じる。

一言でいうと、愛も憎しみもある1対1の人間関係(これを「2.0」の関係と呼ぶ)が希薄化し、逆に「1.5」のかかわりが現代人の心に深く浸透するようになった。「1.5」のかかわりとは周りから見ると物体にすぎない相手に、あたかも本物のお相手のような思いを託して、それにかかわるあり方だという。
 特に、テレビ、コンピュータ、「ファミコン」の出現は、これらのメディアによる対象との新しい「1.5」のかかわりによる、現代人固有の心的世界を作り出すことになった。自然と身体の直接のかかわりの代わりに、押しボタン一つでの仮想現実とのかかわりが、あたかも現実とのかかわりそのものであるかのような、倒錯した心の暮らしをする時間帯がどんどんふえているというのだ。

「戦後の数十年間の犯罪・非行統計をきちんと調べてみると、意外なことに他の先進諸国の傾向とは異なり、最近の青少年は昔に比べはるかにおとなしくなっている」「殺人率の低下だけでなく、全体として青少年は決して凶悪化しているわけではない」、そしてごく例外的に起こる重大事件について不必要なものまで微細に報道し、解釈しようとするメディアのあり方が問題だと広田照幸は指摘する。

これに対し小此木は、たしかにメディアがクローズアップするのは例外的事件ではあるが、やはりそこに現代人の心を先駆的に表現する面があると反論する。 一連の少年犯罪は、いずれも、縁もゆかりもない隣人を、しかも、動機不明のまま、犯人のきわめて主観的な思い込みで殺害してしまうという点に奇矯さがあり、衝撃性がある。しかもその主観的な思いこみの背後には、「引き込もり」がある場合が多いという。

彼らは、アニメやインターネットの世界で自分の衝動をアニメ化して暮らしていたのだが、ネットと現実との使い分けをやめて、ネットからの引きこもりから脱出するとき、仮想現実の世界だけに許されていたはずの衝動を、そのまま外の現実の世界で発揮してしまった。一連の少年事件の背後に、そのような心理的特質がある。 そして、少年たちの事件が、大人に衝撃を与えるのは、実は大人たちの心の闇を露呈させるからだ。

近年の日本人は、多かれ少なかれ引きこもり的な人間関係をいごこちよく感じるようになっている。愛も憎しみもある2.0のかかわりではなく、1.5のかかわりにいごごちのよさを感じるようになり、人間関係全体が希薄化している。  

小此木は、われわれが自然の環境から人工的な環境に引きこもって暮らし、さらに1.5のかかわりを基礎にして、テレビ、ゲーム、携帯、インターネットなどによるヴァーチャルな現実に引きこもる現実が生まれたという。 また、そんな引きこもりと平行して、人と情緒的に深くかかわらない、ある意味での冷たさとか、やさしさとか、おとなしさといわれるような引きこもりが最近の一般的な傾向になっている。激しい自己主張をしあって衝突したり、互いに傷つけあったりする生々しい争いを避けて、みんな表面的にやさしく、おとなしく暮らす。現代の若者の特徴とされる、こんなやさしさは、現代人一般に共通する引きこもりの一種である。

「やさしさは同時に、それ以上深いかかわりを避ける方法になっている。時にはやさくしないで、喧嘩をしたり、叱ったりするほうが、本人のためだという場合もあるのに、それをしない冷たいやさしさである」というのだ。 攻撃性、自己主張、激しい感情は消失したように見えるが、それだけに非常に未熟で訓練されていない攻撃性がやさしさを突き破って、激しい破壊性となってあらわれることがある。しばしばそれは、マスコミを騒がす種々の破壊的な行動の形をとる。

現代人は、主張し合い、傷つけあう生々しいかかわりを避け、多かれ少なかれ、冷たいやさしさへと引きこもり、ある種の破壊性を抑圧する傾向にある。だからこそ突然に破壊的な衝動を爆発させる、やさしき少年の事件に衝撃を受る。大人たちは、これらの事件により自分自身の内なる闇に直面させられるのだ、冷たいやさしさの奥の破壊的な衝動に。

また、 中・高校生だけでなく、大学生、出社拒否のサラリーマン、どの年代の引きこもりの人々にも共通するのは、肥大化した誇大自己=全能感の持ち主であるということ。しかも、その巨大な自己像にかなう現実の自分を社会の中に見出すことに失敗している。一見ひ弱で、小心、傷つきやすく、内気な人物に見えるが、実はその心の中に「自分は特別だ」という巨大な自己像が潜んでいる。

小此木は、現代日本の社会を多かれ少なかれ自己愛人間の社会だという。衣食住がみたされ、食欲も性欲もみたされているような社会、それでいてお国のためとか革命のためとかいう大義名分も理想も効力を失った社会では、私たちの心に唯一活力を与えるのは自己愛の満足の追求である。そして一方的な自己愛の追求は1.5的なかかわりと呼ばれるのと同じ心性が潜んでいる。( しかも全能感や1.5的なかかわりは、テレビゲームやパソコン、インターネットとのかかわりの中で浸ることのできるものである。その意味で彼らは時代のもっとも深い病を反映している。)

現代日本の特徴である自己愛人間社会が、異常な全能感や自己愛の満足しか身につけていない少年や若者を生み出している。彼ら少年、若者は私たち大人の自己愛人間の分身である。われわれの内なる自己愛人間の反映である。 


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昏睡状態の人と対話する

◆『昏睡状態の人と対話する―プロセス指向心理学の新たな試み (NHKブックス)

この本は、おそらくミンデルの本の中でいちばん平易で読みやすいものの一つだ。

ミンデルが創始したプロセス指向心理学は、個人療法、家族療法、集団療法などに適用されると同時に、コーマワークとしても新たな展開を見せている。コーマワークとは昏睡状態の人とのワークを意味する。この本は、コー マワークという特異で独創的なワークの視点からのミンデル世界への入門と考えてもよい。

昏睡状態の人と対話などできないという常識にがんじがらめになっていた医師やセラピスト、その他多くの人々を驚愕させる成果の積み重ね。これまで誰もなしえなかった対話を可能にした驚くべき才能と独創性。その成果を基礎にした説得力。

しかも、その対話や実践的な成果から自ずと明らかになるのは、肉体を超えた魂の永遠性や、肉体の死に直面しつつそれを乗り越えて成長する精神の感動的なあり方なのだ。昏睡状態の人と対話をするという、きわめて具体的な実践を踏み外さず、その視点からのみ語りつつ、とてつもなく深い精神の世界を語っているのに驚く。

その実践に基礎付けられた事実の重みがこの本に、他に類を見ない価値を与えてい る。昏睡状態にあった魂が、肉体に閉じ込められた視点から認知する「現実」を超えて、はかり知れない精神の世界へ飛び立とうとする。そのとき、愛、自由、癒しといった偉大な課題を成し遂げていく様が、ミンデルとの感動的なワークを通して明らかになってく。

昏睡状態は「閉じられたアイデンティティから、より大いなる命に向けての自由を生み出すための歓喜に満ちた最後のダンスの試みであるかもしれない」とミンデルは捉えるのだ。彼は、「旅の道のりは、しばしばトランス状態や昏睡状態といった影の部分をさまよい、通り過ぎる」とも言う。

旅とは、もちろん大いなる命へ向けての旅だ。その旅の道のりにおいて昏睡状態は、しばしば積極的な意味を持つ。「命に関わる病気が死のきわで表す症状は、光明につながる道なのだ。身体から発信されるシグナ ルは、それがいつ現われるかに関わりなく、自覚を捜し求める夢なのである。」

身体のどのようなシグナルが、「自覚を探し求める夢」としてどのようにミンデ ルに受止められ、どのように応答されていくかは、ぜひ本をとって確かめていただきたい。ここではミンデルの次のような言葉を紹介するに留めよう。

「私が出会った昏睡状態になった人々は脳の構造上深刻なダメージを受けた人以外は、全員目を覚まし、パワフルな体験を言葉で語ってくれた。脳にひどい外傷的なダメージをこうむった人ですら、プロセスワークに対して非言語的な合図によって肯定的に反応した。一方、脳にひどい損傷を負っていない人々は目を覚まし、未解決の愛や学ぶべきテーマを完了させた」

この本でもう一つ興味深いのは、ミンデルの他の本には見られない、霊的な世界についてのかなり踏み込んだ発言も見られる点だ。 たとえば、「死に瀕した人々の多くがベッドに横たわりながら、同時によその町中を歩き回るという体験を私にきかせてくれた。私はこのようなケースから、人間の意識は肉体の外に飛び出すこともあり得ると考えるようになった」等々の発言。

いずれにせよ、ミンデルのコーマワークが、以上のような生命観をもとに実践され、またコーマワークの実践が、このような生命観を育んでいったのだということを忘れてはならない。

ミンデルは最後の章を「脳死と死の倫理学」にあてている。最近のニュースでも長い昏睡状態から目覚めた事例があったが、昏睡状態での体験を味わい尽くした後で、自らの決心で息を吹き返す人もいるのだ。持続的な植物状態においてさえ、脳と精神が同一とはいえないと彼はいう。そのような状態でも患者と対話ができるのであれば、死の判定を、家族や医師にまかせてしまっていいのだろうか。「生と死」 は、瞬間毎に当人によってのみ定義され得る」というのがミンデルの主張である。 

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うしろ向きに馬に乗る―「プロセスワーク」の理論と実践

◆『うしろ向きに馬に乗る―「プロセスワーク」の理論と実践』(ミンデル)

◆思わず「やはりミンデルは素晴らしい」と呟きながら夢中で読んだ。これは、エサレ ン研究所でのワークショップの記録であり、プロセス指向心理学についてのミンデルの 講義とプロセス・ワークの実際との記録である。
 プロセス・ワークは、ユング派の分析家であるアーノルド・ミンデルが創始したセラ ピーの技法だが、セラピーという枠を越え幅広い展開を見せる臨床学となっている。

◆これまでに読んだミンデルの本の中では、いちばん刺激が多かっ た。実際のプロセス・ワークを元にし、具体的で分かりやすい。
 プロセス指向心理学では「自覚」(アウェアネス)が非常に重要な役割を果たす。全体的になること、すなわち気づいていた側面に加えて、気づいていなかった側面にアク セスすることを、プロセス指向心理学では「意識」の本来の働きと考えている。
 「私たちがすべきことは、自分および人々がどのように物事を知覚しているかに気づ くことです。そうした知覚の展開を自覚していると、以前には静的な状態が統治してい たところに流動的なプロセスが創造され、思いがけない発見や豊かさがもたらされるで しょう。」
 気づいていなかった側面が自覚にもたらされると、それ自身で展開し、成長し、解決する創造的なプロセスが生まれる。「丁寧に観察しながらプロセスに従う」という方法 は非常に高い普遍性を持っている。ヴィパッサナー瞑想に共通し、しかもヴィパッサナ ー瞑想を、心理学の立場から豊かに意味付けしているように感じる。少なくともヴィパ ッサナー瞑想は、自覚にともなうプロセスの展開については強調していない気がする。
 ワークの実際場面で言えば、「起こりつつあること」がそのプロセスを全うできるよ うサポートする。見落とされている「起こりつつあること」を十分に自覚して関われば、 症状や対人関係、身体感覚や動作などとの関係が深まり、統合され、症状が役割を終え て消失することも起こるという。


◆強く引かれるプロセス指向心理学の考え方に「ドリームボディ」がある。ミンデルの 基本となる考え方のひとつだ。
  ミンデルは、もし身体の調子が悪ければ、おまえは病気なんだとみなす考えに納得で きなかった。夢分析中心の伝統的なユング派の臨床を続けるうちに、実は体に現れてい る症状も夢と同じように無意識の創造的な発現なのではないかと思うようになる。夢に は意味があるように身体に起こっていることにも恐らく意味がある。それは単に病理的 なものでも、悪いものではない。  夢と身体症状は、お互いがお互いの分身であるかのようだ。夢に現れるイメージも、 身体に現れる何らかの症状も根元は同じで、たまたま夢という形を取るか、身体症状と いう形を取るかの違いに過ぎないと考え、その、同じ根元を夢と身体の一体になったも のとして「ドリームボディ」と名づけたのである。
 ドリームボディのメッセージは、やがて夢と身体だけではなく動作、人間関係、共時 的な出来事を含めた様々なチャネルを通して現れてくることが発見され、そこで起こっ ている出来事を丁寧に観察してその流れについていくことが重要だという、プロセス指 向心理学へと発展した。無意識は、そのメッセージを伝えるために、様々な感覚器官 (チャンネル)を利用する。それが夢の視覚イメージであっても、身体の体験であって も、人間関係や出来事であっても、メッセージとしての働きは同じだというのだ。

◆私がミンデルにいちばん引かれるのは、病気や身体症状などのマイナスと把握されや すいものに隠されたメッセージ・知恵を信頼し、それを自覚的に生きることによって全体性が回復されるという点だ。 
 「この病気はとんでもない」と言いつつ、同時に「これは何と興味深いのか」という。 苦しみに嫌だというだけではなく、なるほどという眼を向ける。死を恐ろしいと捉える だけではなく、死は何か大切なことを教えてくれるものと捉える。それらを無視するのではなく、自覚的に充分に体験し生きようとすると、無視されていたプロセスが、自ら 展開し、成長し、私たちをより全体的な統合へと導いていく。  
 タオあるいは自然に従うとは、私たちが好まないことにも注目し、それに従うことを も意味する。自分のやりたいことに注目するだけではなく、自分の意に反した、ばかげ たことを拾い上げ自覚化する。日常的な意識の様式を裏返えし、「うしろ向きに馬に乗 る」。トラブルの中に隠された可能性を見抜き、何かが展開しようとしている種子を見 出す。そうするとタオがそれ自身のプロセスに従って全体性が回復されていく。
 タオとは、意識の外に追いやられ無視された内と外の現実に目を向け、それを自覚し 生き抜くことによって始まる統合へのプロセス。統合へのプロセスは、人間の「はから い」を超えている。そのプロセスへの信頼。タオへの信頼。
 しかもタオへの信頼が、プロセス・ワークという実践に裏付けられている。これまで にも無意識と意識の統合を説いた心理学者は多くいただろう。ミンデルは、人智を超え た統合のプロセス(タオ)そのものを中心にすえ、それに限りない信頼を置く。

◆ミンデルには、心理療法のこれまでの理論家に感じたのとは違う根源性を感じる。そ れはやはり、パーソナリティではなく、タオと表現されるような、生成し展開するプロ セスを中心あるいは基盤にすえているという点だろうか。トランスパーソナル心理学で さえ中心はやはりパーソナリティであり、パーソナリティを超えるにしてもパーソナリ ティの視点があってこそのトランスパーソナルなのだ。
 ミンデルにおいては、しかも生成し展開するプロセスそのものへの信頼が、実践の中 で現実に起こるプロセスとして確認される。その豊富な事例。そこがミンデルの魅力の ひとつであり、特にこの本の魅力でもある。
 最近たまたま河合隼雄の『ナバホへの旅 たましいの風景』(朝日新聞社)を読む。 この中に次の言葉があった。

「私は心理療法をはじめた若い頃、どうしても自分が役に立ちたい、自分の力で治した い、という気持ちがあって、そのために、自分が病気になるのではないか、と思うほど 疲れたが、そのうち『私の力』で治すのではないことが実感されてきた。もっと大きい 力によって治ってゆくことがわかるようになったので、あまり疲れなくなった。」

 この話は、河合の他の本でも読んだ記憶があり、疲労の度合いは周囲の人が心配する ほどだと書いてあった。今回読んで「あっ」と思ったのは、「もっと大きい力によって 治ってゆく」という部分だ。「大きい力」とは、セラピストや患者を超えたところから 来る大きな力というニュアンスがある。
 ミンデルは、かかわりをもつ人間の中に、あるいは人間同士の関係のなかに、さまざ まな現実そのものの中に、それらに即して、全体性を回復するうねりのような力を見て いる。押さえつけていたもの、無視したり抑圧していたりしたものを明るみに出し、そ れらが充分に働くようにすれば、それが展開することで全体的な調和が生み出される。 「大きい力」を心身や社会という現実そのものに内在する運動と見ている。
 河合がいう「大きい力」も実際には、それと変わらないのかも知れないが、ミンデル のようにタオの内在性を強調してはいない。ミンデルに私が引かれるのは、この現象に 内在する知恵への信頼によるのかも知れない。

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痛みと身体の心理学

◆『痛みと身体の心理学 新潮選書』(藤見 幸雄)

プロセス指向心理学(POP)への、平易ですぐれた入門書である。私はプロセス指向心理学の創始者であるミンデルの着眼と、心理療法として方法、そしてその世界観に強く引かれ、共感する。この本でもその魅力が十二分に伝わる。しかもこの本は、痛みや症状から始まり、人間関係、死のプロセスを生きるコーマ・ワーク、 社会的・政治的問題を扱うワールド・ワークまで、プロセス指向心理学の幅広い領域を偏らずに紹介し、ミンデルの方法と世界観が、ミンデルや著者が扱った事例を織り交ぜながら、たいへん分かりやすく語られている。

プロセス指向心理学の基本的な考え方を確認しよう。ミンデルは、身体と夢とを同じ本流から流れ出た支流と考えて、その「つながり」、「関係性」を注意深く見ていく。体の症状も夢と同じように無意識の創造的な発現である。夢に意味があるように身体に起こっていることにも恐らく意味がある。それは単に悪いものではない。夢=身体(ドリームボディ)における夢と身体との関係には、原因も結果もない。夢と身体には鏡を介在したような相互に反映しあう関係があるだけだという。 夢と身体症状は、お互いに分身であり、夢のイメージも、身体の症状も根元は同じと考え、その共通の根元を夢と身体の一体になった「ドリームボディ」と名づけた。

そしてドリームボディは、心と身体の中間にある「第三の存在」といえる。これをサトル・ボディ(霊妙体、微細身)と呼んでもよい。つまり、物、肉としての身体とは異なる「もう一つの身体」ともいえる。そしてこの高次の実在の次元において、心身は究極的に一如である。それは心と身体の中間に位置すると同時に高次元(あるいは深い次元)において両者を超えて、統合する存在である。この「第三の存在」をユング派では「魂」と呼ぶ。

このように、心と身体、夢や身体症状が、心身やドリームボディさらには魂のファクターであるなら、症状や夢は単に否定的なもの、病理的なもの、わけのわからないものではなく、そういった「高次元の存在」に至る、糸口あるいはチャンネル (通路)と捉えなおすことができるとPOPは考える。

本書には、かんたんに取り組むことのできるセルフ・ワークが、1から13まで挿入されている。これを試みるだけでも、POPの考え方がかなり実感できるかもしれない。ひとつ例を挙げよう。 たとえばこんなワークがある。

現在患っている身体症状などに気持ちを向ける。現在とくになければ過去に患い治ったものでもよい。その部位をていねいにじっくりと感じる。身体の感覚を保持したまま何かのイメージが浮かんでくるまで待つ。意識状態がふんだんより深まると、イメージが現れやすくなる。身体症状から浮上したイメージ、思い出された夢が、ドリームボディあるいは、その現れであるという。

現れてきたドリームボディを、自分とは異なる命、意志、自律性をもった他者存在と仮定して、それが身体症状や病、身体感覚、夢、イメージという形を通して表現している意味や目的を、想像してみるのだ。 症状は夢と同様、私たちの生き方に訴えかけるメッセージとして出現するのだ。病 気や身体症状などのマイナスと把握されやすいものに隠されたメッセージ・知恵を 見て、それを自覚的に生きることによって全体性が回復されるというというのが、 POPの捉え方である。

ワークの実際においては、見落とされがちな「起こりつつあること」がそのプロセスを全うできるようサポートする。そのプロセスに十分に自覚して関われば、症状や対人関係、身体感覚や動作などとの関係が深まり、統合され、症状が役割を終えて消失することも起こるという。

夢、すなわちドリームボディは、夜眠っているときだけではなく、病や身体症状、さらに他者(との関係)のなかにも何らかの形で、常に介在している。現実の中に はいつも夢が流れていて、それは自らの表現する媒体を探しているのかもしれない。 私たちは、現実に生きながら、同時に夢の世界に足を踏み入れているのだという。

これはまるで文学的な表現のようでありながら、POPの背景となる真実を語ろうとしている。こうした考え方にミンデルの奥深さとなんともいえない魅力がある。 「深さの次元」が、たえず私たちの周囲の現実にその表現を求めて立ち現れている、という捉え方は、私たちの心を揺さぶる不思議な魅力をもっている。そして、気づこうとする意志と注意力さえ持っていれば、それは確かな真実として実感されるのだ。

JUGEMテーマ:オススメの本

シャーマンズボディ

◆『シャーマンズボディ―心身の健康・人間関係・コミュニティを変容させる新しいシャーマニズム

プロセス指向心理学を打ち立てたミンデルの本はどれも素晴らしい。『うしろ向きに馬に乗る―「プロセスワーク」の理論と実践』は、分かりやすい実践的な視点からの論述で、『24時間の明晰夢―夢見と覚醒の心理学』 は、その理論展開の包括性で、『昏睡状態の人と対話する―プロセス指向心理学の新たな試み (NHKブックス)』は、コーマワークを中 心とした探求の深さで、それぞれが魅力を放っている。そして『シャーマンズボディ』もまた、他にない独自な魅力を発散する濃密な本だ。訳者あとがきに「プロセ ス指向心理学の基本的な考え方をカルロス・カスタネダの著作やミンデル自身のシャ ーマニズム体験から語り直すスタイルをとっている」とあるが、むしろシャーマニ ズムに引っ張られるような形で「心理学」という枠をはるかに超え出るような深さ の次元を、他にない大胆さで率直に語っている。

ミンデルを読んでいつも思うのは、タオ、ブラブマン、「大きな自己」、つまり ドリーミングが、私たちの夢や身体や病気や日常生活に働きかけてくる、その接点 がつねに語られているということだ。日常のあらゆるところにドリーミングからの 働きかけが潜在している。いかにしてその働きかけを感じ取り、いかにしてその大 いなる流れに従っていくかがつねにテーマとされる。ミンデルを読むたびに魅了さ れるのは、まさにこの点だ。『シャーマンズボディ』は、その魅力がシャーマニズ ムを触媒に、さらに際立つ。

シャーマンは、自分自身や周囲の世界に起こる思いがけない出来事やプロセスに 注意を払う。それは「第二の注意力」と呼ばれる。それに対し「第一の注意力」は、 日常的な現実にたいする注意力である。日々の仕事をこなし、定めた目標を達成し、 自分のアイデンティティを保つのに必要な自覚である。第二の注意力は、無意識的 (で夢のような)動作、偶然の出来事、うっかりした言い間違いといった、自発的 なプロセスへ向けられる。

「第一の注意力」「第二の注意力」という区別はドン・ファンによるものだが、これはミンデルのいう「一次プロセス」と「二次プロセス」の区別に対応する。つまり、第一の注意力ばかりを使い、一次プロセスである通常のアイデンティティやそ れに対応する日常的現実ばかりに焦点を当てていると、二次プロセス、すなわち偶 然の出来事やうっかりした言い間違いといった夢のような出来事への焦点付けは衰 える。第二の注意力が弱まるのだ。

戦士としてのシャーマンは、第二の注意力によって思いがけないプロセスへの自 覚を育み、それに従う。ドリーミングボディをより深く生きることによって、全体 性や創造性を取り戻す。その自然な展開に従い、根源的な何かものかとの結びつき を感じ取る。そうした経験に開かれていき、時空間や世界から独立した自己の全体 性を体験する。

シャーマニズムもプロセスワークも、自我を強化することに重点を置くのではなく、身体や身体を含むプロセス、その変化に対する自覚を育むことを重視する。た とえば、「あなたが自分のエネルギーを支配しようとしたり、操作しようとすると、 結局のところ、病いや死に直面することになる。一方、あなたが自分の身体感覚に 従うならば、今ここにいることを十分に感じ、真に人生を生きて創造している感覚 が得られる。たとえば、痛みやめまいといった感覚を大切にするということが、ド リーミングボディを生きるということなのである。」 ドリームボディ・ワークをシャ ーマニズムの観点から見れば、身体に従うことは失われた魂のかけらを探すことに 相当するという。

ほとんど全ページに散りばめられた、印象的な言葉、胸を打つ言葉、心に留めたい言葉の数々、その一頁一頁の密度の濃さ。そして、シャーマニズムに導かれつつ 信じられないような精神世界の不思議を語る大胆さも、ミンデルの他の本にはない 魅力だ。

最後に印象的な言葉をひとつ。

「運命によって急性あるいは慢性の疾患、学問あるいはビジネスの失敗、性的な悩み、狂気、自殺願望、あるいは不倫などの問題を抱えたとしても、そうした苦悩を反転させる『ドリーミングボディを生きる』という新しいパターンが背景に潜んでいる。私たちは直面する難問によって日常生活を中断せざるを得ないが、そのときこそ、潜在的な可能性、戦士の精神、そして死に目覚めることができる。それまで 身につけていたパーソナリティに別れを告げ、心のある道を見いだすことができる のである。」

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