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    2017.03.19 Sunday/ -/ / -/ -/ -/ -/ by スポンサードリンク

マンガに救われ人生を変えたアメリカ人

◆『日本のことは、マンガとゲームで学びました。

前回取り上げたフランス人、トリスタン・ブルネ氏も日本のアニメやマンガに大きく影響されて人生の方向を決定づけ、やがて日本に住むようになった人だが、今回取り上げるアメリカ人、ベンジャミン・ボアズ氏もまたマンガやゲームで育ち、やがて「麻雀」に出会ってとりつかれ、大学で麻雀をテーマに研究し、日本で幅広く活躍するようになった人だ。

この本は、そんな彼がどのようにして日本のポップカルチャーにはまり日本の魅力に目覚めていったかをマンガを中心に描き、時折短いエッセイをはさんで紹介する。「日本のことはほとんどマンガやゲームで学んだ」、「ボクの血の半分は日本のポップカルチャーでできている!」と断言するほどののめり込みようだ。

なにしろ4歳でスーパーマリオにはまり、14歳で『らんま1/2』に初恋、日本語のマンガ・ゲームを楽しむために、伝統あるアメリカの高校で仲間と運動して日本語クラスを創設、そして、20歳のときチベットで麻雀と出会い、東大・京大大学院で麻雀研究論文執筆したという行動派の「オタク」だ。そのハマりようがどれほどであったか、マンガによる数々のエピソードで楽しく読める。

その中のひとつのエピソード。20歳になる前、彼は深刻な人生の谷間に落ち込んだ。両親の離婚や他にも様々な問題をかかえ、大学も休学して目的も将来も見失っていた。感情というものを失い、暗い屋根裏でひたすらゲームやマンガで過ごすゾンビのような毎日。そんなとき偶然出会ったのが、「西原理恵子先生」の『はれた日は学校をやすんで』だったという。中学生くらいの少女の話で、日本語のセリフはあまり理解できなかったけど、「この人はボクの気持ちがわかる」と、なぜか思って涙が止まらなくなった。彼は聖書のようにその本を持ち歩くようになり、犬が死んでしまう話を読む度に必ず声をあげて泣いた。この本で自分の中の「悲しい」という感情を取り戻したというのだ。

その後、危機を脱出するためチベットで一人修行したときも、そのマンガをずっと読んでいた。そのチベットで麻雀と出会い、やがて日本に来て「西原理恵子先生」のマンガを探しているとき、彼女の『まあじゃんほうろうき』を発見。そこから日本の「麻雀マンガ」というジャンルに出会い、その専門性や、麻雀がからんだ複雑なストーリー展開に驚愕する。さらに日本に「雀荘」という世界があるのを知り、あとはもうその世界にのめり込むほかなかった。復学したアメリカの大学では日本の麻雀文化をテーマに論文を仕上げ、さらに京都大学大学院でも「麻雀と社会」をテーマに研究したという。

そしてついに、人生の危機脱出のきっかけを与えてくれた「西原理恵子先生」と、ある麻雀大会で感激の対面を果たしたという。一人の日本人のマンガ家の作品が、こうして彼の人生を救い、彼の人生を決定づけていったことを思うと、なにか不思議な感じだ。ともあれ、半端なくマンガやゲームや麻雀にのめり込んだ男の半生を描くマンガは、日本のポップカルチャーの影響力を物語るひとつの例ととしても興味深い。

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アイデンティティ危機:アニメがフランスに与えた「共感」と「恐れ」(4)

◆『水曜日のアニメが待ち遠しい:フランス人から見た日本サブカルチャーの魅力を解き明かす

フランス人から見た日本のイメージには両極端があるという。日本はまず遥か遠い国という圧倒的な距離を感じさせるが、その距離は良い方にも悪い方にも作用する。良い方に転じたとき、日本はとてもエキゾティックで、自分たちとは異なる価値観や深い文化を持った国と見える。浮世絵に触発されてジャポニズムがフランスを席巻した背景にはそれがあり、そのイメージは今に引き継がれているだろう。

他方、その距離感が悪い方に転じると、自分たちには理解できない不気味な国となる。日本を非人間的な国と感じる人は、著者が子どものころにもかなりいて、日本人はロボットみたいに感情がないとうステロタイプの偏見がとても強かったという。こうした否定的な印象と深い文化を持つ国という肯定的な印象とが状況毎に入れ替わるのが一般的なフランス人だという。ジャパンバッシングは、その否定的なイメージが前面に出た事件だったともいえよう。

ところで、これまで見てきたように日本のアニメやマンガは、かつてフランスに存在しなかった価値観や世界観を読者に与えたからこそ支持され、共感されてきた。しかしそれは、フランス社会に馴染むことのできない若者たちの格好の避難場所にもなっているのではないか。毎年パリで盛大に催され近年は20万人を超える来場者がある「ジャパンエキスポ」は、日本でもよく知られるようになった。そこに集まる若い世代は、コスプレやヴィジュアル系の格好など何の躊躇もなく楽しみ、無批判に日本のマネをしていると著者はいう。

日本人の場合は、「オタク」であろうと日本人であることに変わりなく、日本の中でほとんど無自覚にそのアイデンティティを保つことができる。むしろ「こんな作品が読める国に生まれてよかった」と自分のナショナル・アイデンティティを強化することもありうる。

しかしフランスのオタクは、オタクであることによってフランスという文化秩序の外に出てしまう可能性がある。日本人は日本のサブカルチャーにどっぷり浸かってもアイデンティティ危機には陥らないけれど、フランス人の場合はそれがアイデンティティの危機を招くこともあるというのだ。「ジャパンエキスポ」などで無邪気に得意げにコスプレする若者には、一種の逆ナショナリズムの態度があるのではないか。フランスの価値観に合わなければ日本に合わせ、日本にどっぷり浸かればいい。そう思うことでそこを避難場所にし、依存する。日本の過度な理想化には、フランス社会に居場所がない若者たちのアイデンティティの危機という問題が潜んでいるのではないか。

著者自身、これは少し大げさな見方かも知れないと断っているが、逆にいえばそういう危惧を感じざるを得ないほどに、日本のサブカルチャーの影響が大きくなっているということだ。これはフランス国内の問題だと片付けることもできるが、私たちにとって大切なのは、この問題も含めて全体として日本のアニメやマンガがフランスや世界にどれほど大きな影響を与えているかを、過大にも過小にも偏らずに理解することだと思う。この本は、フランスのオタク第一世代を自認し歴史家としての分析力を持つ著者が、自分のアニメ体験とフランス全体での出来事を適度に交差させつつ広い視野から語っており、その意味でも重要だと思う。

本ブログでは、日本のマンガ・アニメの発信力の理由を以下の視点から考えてきた。

\弧燭般祇弧拭⊃祐屬搬召寮犬物を明確に区別しない文化、あの世や異界と自由に交流するアニミズム的、多神教的な文化が現代になお息づき、それが豊かな想像力を刺激し、作品に反映する。

⊂さくかわいいもの、子どもらしい純粋無垢さに高い価値を置く「かわいい」文化の独自性。

子ども文化と大人文化の明確な区別がなく、連続的ないし融合している。

そゞ気筌ぅ妊ロギーによる制約がない自由な発想・表現と相対主義的な価値観。

ッ療エリートにコントロールされない巨大な庶民階層の価値観が反映される。いかにもヒーローという主人公は少なく、ごく平凡な主人公が、悩んだり努力したりしながら強く成長していくストーリが多い。

今回取り上げた本は、日本のアニメやマンガのとくに上のい筬イ亡愀犬垢詁団Г鮹者の体験を踏まえつつ語っている。日本の巨大な庶民階層の価値観とは、契約よりも信頼を重視し、敵対する相手にも何かしら共感し和解し合える要素を見出そうとするものであり、フランスの子供や若者は、そうした価値観が反映したアニメやマンガに、自国の作品に感じ得ない「共感」を見出したのであった。

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アニメがフランスに与えた「共感」と「恐れ」(1)

◆『水曜日のアニメが待ち遠しい:フランス人から見た日本サブカルチャーの魅力を解き明かす

著者のトリスタン・ブルネ氏は、1976年生まれで、フランス人「オタク」の第一世代を自称するマンガ・アニメ通だ。日本マンガの翻訳家であると同時に日本史の研究者であり、日本の大学等でフランス語、フランス思想の講師もつとめるという。

この本はフランスにどのようにアニメが導入され、定着していったかを、子供時代からの彼自身の経験を中心に具体的に、かつ当時のフランスの社会状況や時代の流れも視野に入れて語っていく。個人的な体験を語る部分は、面白いだけでなく、偽りもてらいもない誠実で温かいペンの運びが心地よい。また彼を取り巻く当時のフランスの状況や歴史に触れる部分も、歴史の専門家としての適度なバランス感覚や視野の広さが感じられ、好感がもてる。

読みながらいちばん強く印象に残ったのは、日本のアニメやマンガが、それを視たり読んだりして育ったフランスの子供たちにどのような深い影響を与えたかを繰り返し語る部分だ。これまでも断片的には、外国人によるそうした言葉に接したことはあるが、これほど本格的に、深い洞察力をもって、日本のサブカルチャーが他文化の人々に与えた影響を語る本に出会ったのは初めてであった。これは私にとって大きな収穫であった。

フランスのTVではじめて日本のアニメが放映されたのは1972年で、「ジャングル大帝」(後半部分のみ)だったが、子供たちの圧倒的な人気を得た最初の作品は1978年の「UFOロボ グレンダイザー」であった。フランスで日本のアニメが本格的に放送されるにようになったのは、放送局が民営化される過程でコンテンツ不足に悩み、それを補うのに安い日本製アニメが輸入されたからだ。当時、フランスの小学校は水曜日が休日で、その日の子供向け番組にアニメが放映され、大勢の子供たちを夢中にさせた。水曜日のアニメを待ち遠しく待ったそうした子供たちの一人がこの本の著者だった。

フランスのテレビ放送の民営化が本格化した1980年代中盤は、フランスのお茶の間に日本のアニメが浸透した時代でもあった。日本製アニメの放映量は急速に増し、80年代後半からは、「ドラゴンボール」「うる星やつら」「キューティー・ハニー」「Dr.スランプ」「めぞん一刻」「キャッツ・アイ」「北斗の拳」「キャプテン翼」といった大ヒット作が立て続けに放送された。

その後も「キン肉マン」「シティハンター」「気まぐれオレンジ☆ロード」「らんま1/2」「美少女戦士セーラームーン」といったヒット作を放送するが、その人気は1990年代中ごろから低迷し始めたという。その大きな理由が日本製アニメに夢中になる子供たちの親世代からの激しい批判、ジャパンバッシングであった。その批判に耐えかねた放送局が日本のアニメの放送量を大幅に減らしたのが原因だった。

なぜジャパンバッシングが始まったのか。いくつかの理由が重なっているようだが、その背景には、オイルショック(1973)をいち早く抜け出し経済成長を続ける日本への漠然とした恐れと反感があったのではないかという。またある女性政治家が、テレビの民営化を進めたシラク政権を攻撃して自分への支持を得るため、ジャパンバッシングを利用して日本アニメを「恐ろしいもの」と批判する本を出版した。この本はベストセラーになり、当時の親世代に絶大な影響をもたらしたという。

しかし著者は、当時の日本アニメへのバッシングにはもっと深い理由があったのではないかと考える。それは、日本のアニメが西欧にない異質な世界観・価値観を子供たちに注ぎ込むことへの恐れであり、これを語ることに本書の大事なテーマがあるようだ。次回はこの点をさらに探っていこう。

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日本のことはマンガとゲームで学びました。

マンガとゲームを偏愛するアメリカ人青年。「ボクの血の半分は日本のポップカルチャーでできている!」というアメリカ人青年のマンガのような半生をマンガで綴る本。行きの電車の中で読み始め思わず夢中になって帰りの電車の中で読み終わった。本当に日本のマンガやゲームに魂を奪われ、それを日本語で味わいたいがために、アメリカの伝統ある高校で仲間とともに初めて日本語クラスを創設してしまう。日本のマンガに心を日本語のセリフもよく理解できないまま心を揺すぶられ、そのマンガを持ち歩いて繰り返し読むうちに、ストーリーも何とか理解できるようになり、そして青春の危機を救われる。好きなものに没頭して、その言語で繰り返し味わうことが実に効果的な言語習得の早道なんだなと感心したりする。

 

彼は、日本のマンガのすごいところはものすごく専門性が高いところだと評価する。経済や法律やあらゆることがマンガ化されている。彼自身、チベットで麻雀にはまり、それから日本式の麻雀に出会って、日本に「麻雀マンガ」というジャンルまであることに驚愕。「麻雀マンガ」とともに雀荘で日本の麻雀にのめり込む。麻雀を通しての会話は彼の日本を上達させた秘訣でもあった。そして京都大学大学院で「麻雀と社会」をテーマに研究し論文を執筆するに至る。

 

ともあれ、日本のマンガやポップカルチャーは、これだけ世界の人々をのめり込ませ、影響を与え続ける魅力と奥深さをもっているのだということを、あるアメリカ人青年の一例で面白く示してくれるマンガ本だ。

 

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新海誠『秒速5センチメートル』と至高体験

◆新海誠『秒速5センチメートル 新海誠 アニメ 英語版(日本語再生可) [DVD] [Import]』(2007年)

新海誠は、『君の名は。』以前から、宮崎駿の次の時代を担うほどの才能をもったアニメ作家、映画監督ともいわれていた。その息をのむような映像の、詩的な美しさとストーリー展開の魅力は、『ほしのこえ』(2002年)や『「雲のむこう、約束の場所」』(2004年)のときから目立っていた。

とくに2002年公開の『ほしのこえ』は、監督・脚本・演出・作画・美術・編集などほとんどを一人で行った約25分のフルデジタルアニメで、自主制作としては信じられないほどクオリティーの高い作品であった。この作品は、第1回新世紀東京国際アニメフェア21公募部門で優秀賞を受賞し、実行委員会委員長の石原慎太郎都知事から「この知られざる才能は、世界に届く存在だ 」と絶賛を浴びた。

『秒速5センチメートル』は、前二作のようなSF的な要素は消えたが、映像はさらに美しく、物語は詩情にあふれている。

この作品の本格的な評としては、前田有一の超映画批評でのレビューをお勧めしたい。私は、前田有一や他のさまざまなレビューが取り上げていない視点からこのアニメを語ってみたい。

作品は、ある少女を思い続けた男の十数年間を三話構成で綴っている。第一話「桜花抄」は主人公の遠野貴樹と同級生・明里の小学生時代の出会いから始まる。 転校を繰り返した共通の経験を持つ二人は、互いに思いを寄せ合うようになる。明里が、東京から栃木の中学校に進学してからも文通を続けていたが、その後、鹿児島への転校が決まった貴樹は最後に明里に会うため、栃木県の小山の先まで行く決心をする。しかし彼の乗るJR宇都宮線は記録的な豪雪に見舞われ、待ち合わせの駅に着いたのはすでに深夜だった。 明里はその駅の待合室で一人待っていた。

二人は雪の中を外へ出る。あたりは静寂につつまれ誰もいない。大きな樹の下に二人だけがいる。その時の貴樹のモノローグ。

「その瞬間、永遠とか心とか魂とかいうものがどこにあるのか分かったような気がした。13年間生きてきたことのすべてを分かち合えたように僕は思い、それから次の瞬間たまらなく悲しくなった。明里(あかり)のそのぬくもりを、その魂をどのように扱えばいいのか、それが僕には分からなかったからだ。僕たちはこの先もずっといっしょにいることは出来ないとはっきり分かったからだ。‥‥‥でも僕をとらえたその不安はやがてゆるやかに溶けていき、あとは明里のゆるやかくちびるだけが残っていた。」

この時、貴樹は一種の「至高体験」をしたのだ。「永遠とか心とか魂とかいうものがどこにあるのか分かったような気がした」という言葉がそれを表している。そしてこの「至高体験」に、彼はその後ずっとこだわり続けることになる。(「至高体験」が何かについては、次のサイトを参照されたい。「覚醒・至高体験の事例集」)

第二話は「コスモナウト」。遠野貴樹は種子島の中学に転校し、その地の高校の三年生になっていた。貴樹をひたすら想い続ける同級生・澄田花苗は、貴樹が卒業後は東京の大学へ行くと知り、自分の想いを貴樹に告げようと決心する。それは、いつも二人で帰る畑中の道でのことであった。彼女が逡巡していたその時、種子島宇宙センターからロケットが発射され、空を割り裂くような轟音と軌跡を残して宇宙に旅立っていく。二人は、ただ黙ってそれを見つめる。

「‥‥ただ闇雲にそれに手を伸ばして、あんな大きな塊を打ち上げて、気の遠くなるくらい向こうにある何かを見つめて。‥‥‥遠野君は他の人と違って見える理由が少しわかったきがした。そして同時に遠野君は私を見てなんていないんだということに私は気づいた‥‥‥。」

ロケットの軌跡を見ながら、同時に花苗は自分の失恋に気づく。遠野君は、気の遠くなるくらい向こうを見つめていて、自分なんか見ていない。それに否応もなく気づいてしまった。では、貴樹が見つめていた宇宙のような遠くとはなんだったのだろうか。それは、一度垣間見た「永遠とか心とか魂とかいうもの」の在りかではなかったのか。「至高体験」ではなかったのか。

ロケットの噴射が描く、大空を引き裂くような美しい軌跡を二人は黙って見続ける。それは、二人の世界の分離を暗示するかのように残酷なほどに美しく空に描きこまれていく。

三話は映画のタイトルとなった「秒速5センチメートル」。貴樹は、日々仕事に追われ、疲れ果てていく。3年間付き合っていた女性からも、彼の心が彼女に向いていないことを見透かされてしまう。

「この数年間、とにかく前に進みたくて、届かないものに手を触れたくて、それが具体的に何を指すのかも、ほとんど脅迫的ともいえるようなその思いがどこから湧いてくるのかも分からずに僕はただ働きつづけ、気づけば日々弾力を失っていく心がひたすら辛かった。」

「貴樹の心は今もあの中学生の雪の夜以来ずっと、彼にとって唯一の女性を追い掛け続けていたのだった…」(wikipedia)というのが、一般的な解釈だろう。しかし、「届かないものに手を触れたくて」、しかもそれが何なのかも分からず、その思いがどこから湧いてくるのかも分からないというのはどういうことだろうか。それが明里だったなら明里だと、彼にもはっきり分かったはずだ。彼が求めていたのは、明里というよりも、明里との間で一度限り体験した「永遠とか心とか魂とかいうもの」の在りかの秘密だったのではないか。それはあまりに幼き日に体験した魂の高みだったからこそ、失われ、忘れ去られて彼を脅迫的に突き上げる得体のしれない思いにまでなっていたのではないか。

私には、遠野貴樹という主人公の名前も、初恋の少女の明里という名前も、雪の夜の「至高体験」を暗示しているように見える。そして、遠くの高い樹(魂の高み)を見つめている遠野君は、私のことなんか少しも見ていないと、花苗は気づいた。空の高みを目指すロケットが打ち上げられるその光景を見ながら。
 

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日本のアニメは何がすごいのか3

◆『日本のアニメは何がすごいのか 世界が惹かれた理由(祥伝社新書)

この本では日本のアニメのユニークさを、.蹈椒奪函Ε▲縫瓠↓▲好欹アニメ、K睨‐女アニメ、ぅ筌鵐哀▲瀬襯噺けアニメという視点から捉えていた。私の関心は、これらが日本の伝統とどのように関わるかだった。今回は、そのとい砲弔い童ていこう。

K睨‐女アニメ‥‥母性社会日本

欧米では、「日本アニメでは女の子がヒーローとして活躍する作品が多いのか」と質問される場合が多いという。しかし逆に、欧米ではなぜそういう作品がほとんどないのだろうか。むしろ私たち自身がそう問うべきかもしれない。欧米の方にこそ、男性と女性の役割の違いに関して、文化的に根深い区別意識があるのではないか。それは、一神教という父性原理の宗教を文化的背景としてもっているということであり、それゆえ女が男のような「ヒーロー」として活躍するという発想が生まれにくいということだろう。

日本の文化的伝統は、そのほぼ対極にある母性原理を基盤とするものだった。このブログの柱である日本文化のユニークさ8項目でいえば、

(2)ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し、縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきた。

ということである。

父性原理と母性原理の比較についてはこれまで繰り返し語ってきた。ここではひとつだけ関連記事を紹介しておこう(→マンガ・アニメと中空構造の日本文化)。ここでも語ったように、西洋のような一神教を中心とした文化は、多神教文化に比べて排除性が強い。対立する極のどちらかを中心として堅い統合を目指し、他の極に属するものを排除したり、敵対者と見なす。これが一神教の父性原理だ。一神教は、神の栄光を際立たせるために、敵対する悪魔の存在を構造的に必要とする。唯一の中心と敵対するものという構造は、ユダヤ教(旧約聖書)の神とサタンの関係が典型的だ。絶対的な善と悪との対立が鮮明に打ち出されるのだ。また、父性的なものに対して母性的なものが抑圧され、その抑圧されたものが「魔女」のような形をとって噴出し、さらに「魔女狩り」のような集団殺戮を生む背景となっていった。

ひるがえって日本の場合はどうか。縄文人の信仰や精神生活に深くかかわっていたはずの土偶の大半は女性であり、妊婦であることも多い。土偶の存在は、縄文文化が母性原理に根ざしていたことを示唆する。縄文土偶の女神には、渦が描かれていることが多いが、渦は古代において大いなる母の子宮の象徴で、生み出すことと飲み込むことという母性の二面性をも表す。こうした縄文の伝統は、神々の中心に位置する太陽神・アマテラスや、卑弥呼に象徴されるような巫女=シャーマンが君臨する時代にも受け継がれていった。そして、日本はそういう母性原理的な伝統が、男性原理の宗教によって駆逐されずに、現代まで何らかの形で受け継がれてきたのである。

現代日本のアニメ作品に多くの魔法少女が「ヒーロー」として描かれるのは、むしろ日本の伝統からしてごく自然なことなのである。しかし欧米のファンにとってはそれが新鮮だった。女の子が、男のヒーローのように、しかも魔法を使って大活躍する、それは父性原理の強い欧米では生まれにくい発想だった。神は「父なる神」、つまり男性であり、ヒーローもおのずと男性という発想になる。アメリカのセーラームーンのファンは、自分の国に溢れているありきたりの男性スーパーヒーローとのちがいに惹かれていった。普通の女の子がスーパーヒーローに変身する物語に魅了されたのだ。また、誰か一人を特別扱いしたり悪者にしたりする(善と悪の対立)のではなく、さまざまな要素を絡めて描く複雑なストーリーが絶賛されたのだ。 セーラームーンの魅力は、「戦闘とロマンス、友情と冒険、現代の日常と古代の魔法や精霊とが混在し、並列して描かれている点だ」という。物語と登場人物をさまざまな方向から肉づけすることで、ほかのスーパーヒーローものよりも、「リアル」で感情的にも満足できる、というのだ。

海外でのこうした反応からも、日本の魔法少女アニメがいかにユニークなものだったかがわかるだろう。

ぅ筌鵐哀▲瀬襯噺けアニメ‥‥子どもと大人の区別が曖昧な日本

欧米では子ども文化であるマンガ、アニメだが、日本では、はっきりとした区別はなく大人をも含んだ領域としても確立している。マンガ、アニメは、大人が子どもに与えるものではなく、大人をも巻き込んだ独立したカルチャーとしての魅力や深さをもっている。ではなぜ欧米では、マンガ・アニメが子どもに限定されるのか。ここにもキリスト教文化の影響があり、日本はその影響をあまり受けていないという文化的な背景の違いがあるようだ。

欧米では、子供は未完成な人間であって、教え導かなければいけない不完全な存在、洗礼を経て、教育で知性と理性を磨くことで、初めて一人前の「人間」に成るとという子ども観があるようだ。子どもは「人間になる途上の不完全な存在」で、大人とは明確に区別される。一方日本では、もともと子ども文化と大人文化に断絶がなかったからこそ、マンガ・アニメが大人の表現形式にもなり得たのだ。欧米のアニメーションの根底に依然として「アニメーションは子どもが観るもの」という常識があるのとは、まさに対照的だ。

欧米を中心とする世界の常識を唯一無視してきたのが、日本のアニメだった。日本のアニメは、「子どもが観るもの」という常識を無視して、製作者たちがそこで様々な映像表現の可能性をさぐる場となった。その複雑な世界観やストーリー展開の魅力は、アニメーションで育った世界の若者たちに、乾いた砂に水が浸み込むように自然に受け入れられていった。

「子どもが観るもの」には様々な制約がある。その制約がはじめからなければ、マンガ・アニメという表現の場は、逆に限りなく自由な発想と表現の場になる。実写映画は、登場する生身の人間のリアリティに引きずられて発想と表現に自ずと制限がかかる。マンガ・アニメはその制約がなく、想像の世界は無限だ。子どもと大人の領域が融合しているため、エロや暴力の表現が、子供の世界にまで入り込んでいる。これが、批判や拒否の理由とされることもあるが、国際競争力の強さになっている現実もある。

さて、本ブログでは、日本のマンガ・アニメの発信力の理由をこれまで以下の視点から考えてきた。

\弧燭般祇弧拭⊃祐屬搬召寮犬物を明確に区別しない文化、あの世や異界と自由に交流するアニミズム的、多神教的な文化が現代になお息づき、それが豊かな想像力を刺激し、作品に反映する。

⊂さくかわいいもの、子どもらしい純粋無垢さに高い価値を置く「かわいい」文化の独自性。

子ども文化と大人文化の明確な区別がなく、連続的ないし融合している。

そゞ気筌ぅ妊ロギーによる制約がない自由な発想・表現と相対主義的な価値観。

ッ療エリートにコントロールされない巨大な庶民階層の価値観が反映される。いかにもヒーローという主人公は少なく、ごく平凡な主人公が、悩んだりり努力したりしながら強く成長していくストーリが多い。

これらは、あくまでも暫定的なものであり、今回の考察を含めて、今後さらに項目や内容は変化していくと思う。いずれにせよ、世界の若者が日本ののポップカルチャー魅せらるのは、その「オリジナリティ」によるのだろう。そして「日本でしか生まれないものを次々に創り出していく」その独創性の背景には、日本独特の文化的背景がある。それをさらに明らかにしていくのが私の課題だ。

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マンガ・アニメの発信力と日本文化(3)相対主義
マンガ・アニメの発信力と日本文化(4)相対主義(続き)
マンガ・アニメの発信力と日本文化(5)庶民の力
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マンガ・アニメの発信力:BLEACH―ブリーチ―(2)
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マンガ・アニメの発信力:セーラームーン(1)
マンガ・アニメの発信力:セーラームーン(2)
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日本のアニメは何がすごいのか2

◆『日本のアニメは何がすごいのか 世界が惹かれた理由(祥伝社新書)

著者・津堅信之氏は、この本で日本のアニメのユニークさを、.蹈椒奪函Ε▲縫瓠↓▲好欹アニメ、K睨‐女アニメ、ぅ筌鵐哀▲瀬襯噺けアニメという視点から捉えていたことは、前回見た通りだ。今回は、そのそれぞれが日本の社会・文化的伝統とどのような関わりがあるかを見ていこう。

.蹈椒奪函Ε▲縫瓠邸邸屮謄ノ−アニミズム」

これは、このブログの中心テーマである日本文化のユニークさ8項目でいえば、

(1)「漁撈・狩猟・採集を基本とした縄文文化の記憶が、現代に至るまで消滅せず日本人の心や文化の基層として生き続けている」

に深く関係する。現代日本人の中に縄文的な心性が流れ込んでいるといっても、では、私たちの中の何が縄文的なのかいまひとつピンと来ない。しかし、私たち日本人の多くが、楽しんで読んだり見たりした作品の中にそれが表れているとすれば、これかと納得しやすいのではないか。

「テクノ−アニミズム」は、アン・アリスンが『菊とポケモン―グローバル化する日本の文化力』の中で使った言葉だ。この本で著者は、縄文時代とか縄文文化とかいう言葉はいっさい使っていない。しかし、鉄腕アトムなどを例にしながら、テクノ-アニミズムという言葉を使って現代日本のポップカルチャーのある一面を特徴づけている。アニミズムとはもちろん、巨石からアリに至るまであらゆるものに精霊が宿っていると感じる心のことだ。それがテクノロジーとどう関係するのか。

鉄腕アトムでは、たとえば警察車両が空飛ぶ犬の頭だったり、ロボットの形もイルカ、カニ、アリ、木まで何でもありだ。マンガ・アニメに代表される日本のファンタジー世界では、あらゆるものが境界を越えて入り混じっているが、その無制限な融合を可能にする鍵が、テクノロジーの力なのだ。メカと命あるものの結合によってテクノ-アニミズムが生まれる。

アトムそのものがテクノ-アニミズムのみごとな具体例だといってもよい。アトムはメカであると同時に、「心」をもった命とも感じられる。正義や理想のために喜んだり、悩んだり、悲しんだりするアトムの「心」に、私たちは感情移入してストーリーに胸を躍らせる。

手塚治虫によってアトムというロボットに「命」が吹き込まれた(アニメイトされた)が、アトム誕生の背後にある道は、かなたの縄文的アニミズムにまで続いている。アトムやドラえもん、初音ミクなどに見られるように、日本人はテクノロジーや機械と生命や人間との境界をあまり意識せず、アトムやドラエもんが人間的な感情を持つことに違和感を感じず、現実のアイドルのように初音ミクに熱狂する。

西欧に共通するキリスト教的な世界観では、人間が世界の中心であり、人間、生物、無生物は明確に区別されるが、日本人にはそういう意識があまりない。生命と無生命、人間と他の生き物を明確に区別しないアニミズム的文化が現代になお息づき、それが多かれ少なかれ作品に反映するから、アトムやドラエもんが生まれてくるのだろう。日本では、伝統的な精神性、霊性と、デジタル/バーチャル・メディアという現代が混合され、そこに新たな魅力が生み出されているのだ。

▲好欹アニメ‥‥「道」の重視

「長期間の放映を通じて、ひとりの主人公の成長を描く『大河ドラマ』的なドラマ構成」という日本アニメの特徴は、それだけ日本人が、野球やサッカーやバスケットボールやテニス、そして囲碁やクラッシク音楽やカルタなどの「修行」を通して人間が成長していく姿を見るのが好きだからだろう。(漫画やアニメが好きな人なら、上にあげたそれぞれのジャンルにどのような漫画・アニメが対応しているかすぐ思い浮かび、そこでどんな成長物語が展開したか懐かしく思い出すだろう。)

それらは、日本人にとってたんなるスポーツや娯楽ではない。野球であろうとサッカーであろうと囲碁であろうと、それぞれの道で厳しい修行を通して、達人の域に達する魂の修行の場だという捉え方をする。そういう文化的な伝統があるから、スポーツや囲碁やクラッシク音楽の「修行」を通して主人公が成長して行く過程を見るのが好きなのだ。そして「修行」を好む日本人の伝統は、禅の修行やその影響を受けた剣道や各種の芸道の修行という伝統につながっているだろう。さらには神道の伝統にまで連なっているかもしれない。

日本アニメと「道」との関係については、今回触れるのが初めてだが、追ってもっと詳しく考えてみたい。


K睨‐女アニメ‥‥母性社会日本
ぅ筌鵐哀▲瀬襯噺けアニメ‥‥子どもと大人の区別が曖昧な日本

については、次回に見ていくことにしたい。


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日本のアニメは何がすごいのか1

◆『日本のアニメは何がすごいのか 世界が惹かれた理由(祥伝社新書)

著者・津堅信之氏は、『日本アニメーションの力』などでかなり専門的に日本アニメの発達史などを研究・発表してきた人
である。その著者が新書で一般向けに日本アニメの歴史や特徴、海外での受容の現状などをまとめたのがこの本である。しかし引用元の注などもしっかりしており、日本アニメの海外への影響力を含め、偏らずにその実情を知るにも、充分に信頼できる一冊であると思う。

たとえば著者は、「とかく日本人は、自国のコンテンツ(伝統文化・芸能を含む)が海外で受け入れられていることに対する過度の喜び」があり、その喜びと期待が海外での受け入れの実情への「誤解」を産んでいると指摘する。ごく少数のマニアックなファンの熱気を、全体の熱気と勘違いする傾向があるというのである。そうした見方も含めて海外でのアニメ受け入れの現状を正確に捉えることは重要で、その意味でもこの本は参考になる。

私自身の関心は、日本の伝統的な社会や文化のあり方が、現代アニメにどのように影響しているかを探ることにある。もちろんこの本は、そういう関心から書かれたものではないし、そうした話題に触れてもいない。しかしこの本では、第2章「アニメ=日本のアニメとは何か」で、日本独自のアニメーションの特徴をいくつかに分けて見て行く。これが私の関心へのヒントになりそうなので、以下この章を中心に紹介する。

.蹈椒奪函Ε▲縫
日本の本格的なテレビアニメが『鉄腕アトム』だったことの意味は大きい。その後の日本特有のアニメ制作方法を方向付けただけでなく、「人気漫画のテレビアニメ化」という路線としも受け継がれた。さらに「心を持ったロボット」という印象的なキャラクターがその後の日本のアニメに与えた影響も大きい。もちろん日本のロボット・アニメでは『ガンダム』に代表されるような兵器としてのロボットも重要だが、いずれにせよ「ロボットが身近な存在」という設定は日本のアニメの特徴のひとつだ。

▲好欹アニメ
その代表作『巨人の星』は、たんにスポ根アニメにとどまらず、日本アニメのひとつの典型となった。それはまず「長期間の放映を通じて、ひとりの主人公の成長を描く『大河ドラマ』的なドラマ構成」という独自性だ。また少ない動画枚数で絵のクオリティーや動き方を工夫する演出方法を生み出したという点だ。スポ根アニメは『キャプテン翼』や『スラムダンク』などヨーロッパで知名度が高く、有名サッカー選手たちが翼の影響を大きく受けた話などは有名だが、いっぽうアメリカではスポ根アニメの人気は低調のようだ。

K睨‐女アニメ
海外では、女の子が「ヒーロー」となるアニメはきわめて少ないが、日本アニメでは女の子が「ヒーロー」として活躍する作品が多い。その中心となるジャンルが「魔法少女アニメ」である。欧米のキリスト教社会では、魔法を使う少女=魔女が伝統的に忌避される傾向があり、それだけ日本アニメの魔法少女ものが日本アニメの特徴のひとつとして際立つし、注目されるのかもしれない。

ぅ筌鵐哀▲瀬襯噺けアニメ
海外で製作されテレビで放映されるアニメーションは、ほぼ子供向け、幼児がせいぜい小学生までを対象とする。しかし日本アニメでは、中高生などのヤングアダルト向けの作品が重要な位置を占める。海外で日本のアニメに注目が集まるのは、主としてこうしたヤングアダルト向け作品であり、海外での愛好者もヤングアダルト世代が多い。

以下、ァ屮▲縫畸太検廚任蓮日本のアニメがまずはデズニーを手本とし、その絶大な影響を受けながら、独自の日本アニメを生み出していく過程が描かれ、Α屮好織献ジぶり」では、アニメ界の「独立国」ジブリの、宮崎駿や高畑勲による日本のアニメ界ではユニークな歩みが語られる。

さて、私の関心は、日本の社会や文化の伝統的なもの特徴が、現代日本のアニメのどのような側面に表れているかを探ることであった。結論から言えば、上に紹介した 銑い瞭団Г呂垢戮董日本の社会や文化のユニークさに多かれ少なかれ関係していると思われる。すでにこのブログで触れてきたこととも重なるので、それらを紹介しながら次回に見ていこう。そのさい、それぞれのキーワードとなるのは以下である。

.謄ノ・アニミズム、◆崙察廚僚纏襦↓J貔社会日本、せ劼匹發搬膺佑龍菠未曖昧な日本

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菊とポケモン―グローバル化する日本の文化力

アメリカの人類学者による、「クール・ジャパン現象」をめぐる本格的でアカデミックな研究書である。原題は、Millennial Monsters(千世紀の怪物たち)。日本的なものが、現在どのようにグローバルに普及しているのか、とくに米国市場で子供たちをどのように日本の遊びの美学に適応させたかを、様々な角度から詳細に分析する。この本が取り上げるのは、世界的なブームを引き起こした次の四つである。つまり、パワーレンジャー、セーラームーン、たまごっち、そしてポケモン。

個々のキャラクターグッズ等についての考察については、追って触れることにして、今回は、一読しての全体的な印象に触れておきたい。

まず感じるのは、きわめてアカデミックな研究で、ポストモダンを代表する哲学者にもさかんに言及しながら考察を深める。しかもアメリカの研究者としてはめずらしく、関連する日本語の文献にも相当にあたっいる。さらに、日本のキャラクターグッズを可能な限り多面的に考察しようとする意図的な方法論に貫かれている。コマーシャリズムに乗って投入される商品として、文化パワーの象徴として、楽しく親しみを生むファンタジーとして、ポスト産業化時代の不安をかかえた若者文化の一症状として等々。自分自身も、子供たちに「指導」されながらゲームに夢中になり、多くの子供や関係する人々にインタビューを行うなど、フィールドワークもしっかり行なっているようだ。

ただ、クールジャパン現象を日本の文化的伝統と関連づける考察はほとんどなされておらず、日本のアニミズム的な心性とポップカルチャーを結びつけて論じるところも、きわめて表面的で、むしろ誤解を生みやすい表現になっているところが気になった。

最近の「クール・ジャパン現象」について、日本人の本などではかなりの報告があるし、インターネットに接していれば、ある程度の実感はつかめる。しかし、米国の研究者が、アメリカの内側から、信頼できる研究を行なった成果として確認できるのは貴重だ。

「米国市場で売られている日本製品にファンがつくことなどは別段目新しいことではない。『ゴズィラ』や『スピード・レーサー』を見て育ち、中年になっても日本の作品の熱烈なファンだという人たちを私は大勢知っている。それが今では、日本のポップカルチャー製品は米国市場を席巻しているだけではなく、米国の国民的想像力や想像世界にも大きな影響を与えている。」

そのように大きな影響力を持ち始めた日本のポップカルチャーの秘密を、およそ10年のフィールドワークと、アカデミックな方法論に基づいて、徹底的に探ろうとした本書は、「クール・ジャパン現象」が一時的、表面的なものではなく、現代の世界文化にとってきわめて重大な影響力をもった出来事なのだとうことを認識する上でも、一読の価値があると思う。

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宮崎アニメの暗号

宮崎アニメと、他のアニメその他のエンターテイメントの違いはなにか。それは宮崎作品の面白さのなかに隠されたとくべつの「仕掛け」にあると、著者はいう。それは作品のなかに自然に違和感なく溶け込んでいるため、ちょっと見には「暗号」のようだが、作品の血となり肉となって、宮崎作品のかぎりない魅力と豊かさとなっている。その豊かな背景とメッセージ性を明らかにしようというのが本書の意図だ。読んでなるほどと納得したり、そこまで深い背景が、と驚いたり、そのメッセージに共感したりすることが多かった。

まず冒頭で、『となりのトトロ』の背景に1972年のスペイン映画『ミツバチのささやき』があったという事実が語られる。エリセのこの作品には、キリスト教に抑圧される以前の自然崇拝の古い世界観がもり込まれている。『となりのトトロ』は、この映画から影響を受け、似たようなシーンが見られるし、同様の世界観を表現している。ヨーロッパならローマ帝国以前のケルト人の森の文化、日本なら縄文時代やそれ以前の文化への敬愛が二つの映画の底流をなしている。

『となりのトトロ』にかぎらず、キリスト教や産業文明以前の、自然と人間が一体となった世界への共感は、宮崎アニメのいたるところに見られる。森や森の生き物に共感し、生き物と交流できたり、森から異界への入り込む森の人。キリスト教は、そのような能力をもった人々を魔女として迫害した。宮崎アニメには、そういう魔女的な一面をもった登場人物へのあたたかいまなざしがある。ナウシカにも魔女を思わせる不思議な力があった。狼少女サンにも同じような一面がある。サツキやメイはお化けを見たし、千尋は異界への通路をひらいた等。

この本の中心にあるのは、『もののけ姫』の背後にある五行思想の「暗号」を解くことである。中国生まれの五行思想は、万物を木(生命の象徴)、火、土(大地の象徴)、金、水の五つの原素に分類する。木は燃えて火を生じ、火は灰を生んで土を生じ、土は金を含み、金は水を付着させ、水は木を育てる。逆に木は土から養分を吸い上げ、土は水をせき止める。水は火を消し、火は金属を溶かし、そして金属を斧は木を倒す。

この五行思想を宮崎は作品で駆使しているが、『もののけ姫』にはそれが地下水脈のように張り巡らされているという。たとえば、ひずめが大地に着くたびにそこから草が成長し、一瞬に枯れてしまうシシ神は、大地(土気)の象徴であろう。銃弾を受けたアシタカは、シシ神によって救われる。逆にタタリ神になった乙事主(猪)の生命は、シシ神によって吸い取られた。大地(土)は、木(生命)に命を与え、そして再び大地に返すのだから、アシタカも乙事主も木気を表しているといえるだろう。森の生き物たちは、シシ神(土気)の恵を受けてのみ、命を育むことができる。シシ神は森の秩序であるゆえ、あらゆる生き物がシシ神を畏れ、敬う。

ところがシシ神(土気)の怒りを買う産業文明(火気)が、森にやってくる。人は森から採取した鉄をタタラという炉で、火を使って銃弾に変える。そして生き物の命を奪う。それだけでなく森そのもの(木気)を奪う。『ミツバチのささやき』で荒れ果てたスペインの荒野が舞台となるが、それは人が深き森を伐採した結果なのだ。森の伐採はひとつの文明を滅ぼすさえある。それが宮崎のいう「祟り」の本質ではないか。宮崎の視野は、文明そのものがもつ「祟り」にまで及んでいるのだ。

『もののけ姫』の底流をなす五行思想をごくかんたんに見た。これだけだとこじつけのように感じられるかもしれないが、実際にはもっと詳しく周到に論じられており、読んで説得力がある。

またシシ神は、木気(大地)の象徴であるだけでなく、神話から洞穴絵画にいたるまで人類の何重もの歴史的なイメージを合わせ持つ存在として造形されている。それを説明するくだりも、興味尽きない。旧石器時代以来、欧州では「有角神」が信仰されていたが、キリスト教の興隆後は悪魔とされた。ケルトの有角神は、ケルヌンメスといわれ、動物の王でありながら、他の生物とともにあった。ここにシシ神の原型があるかもしれない。シシ神は、破壊と再生を一身に体現するという意味でモヘンジョダロのパシュパティのいう有角神にも連なる。さらに『ギルガメッシュ叙事詩』、最後には、旧石器時代の洞穴絵画のひとつ「トロワ・フレールの呪術師」という図像にこそ、始原のシシ神が見いだされる。

通読して、宮崎アニメがその上質のエンターテイメントのなかに、これほど遠くまで遡る歴史的視野と、文明の根源までを見据える深い批判精神を隠していたということに驚き、再度宮崎アニメを見直したいという思いに駆られた。    

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