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はじめてのインド哲学

はじめてのインド哲学 (講談社現代新書)

インド哲学の概論ではなく、「自己と宇宙の同一性の経験」というインド精神のもっとも重要なテーマに焦点を当てたインド精神史であるという。私自身が、こうしたテーマにもっとも関心が深いので興味深く読めた。しかも「仏教の誕生」、「大乗仏教の興隆」、「タントリズム(密教)の出現」という、仏教に関する独立した章を設け、インド哲学との関係、異同、深い相互の影響などにも丁寧に触れているので、学ぶところが多かった。

インド哲学が、古代から何をどのように問いつづけてきたのか、その問いと探究はどのように変化しつつ今日に至るのか。この本で、その4500年におよぶ歴史を振り返ると、ある感慨に打たれる。現代に生きる私が直面し、問い続けている問いが、多くのすぐれた人々によって繰り返し問われ、論争され、探究され続けてきたのだということ。

たとえば、人間の通常の営みを、否定さるべき「俗なるもの」として規定し、その否定の結果として顕現する精神的至福(悟り)を得ようとする態度は、古来「ニヴリッティ・マールガ」(寂滅の道)と呼ばれた。初期仏教の出家僧やヨーガ行者たちが歩むのは、この道であった。

仏教の開祖ブッダは、その意味ですぐれたヨーガ行者であった。古代ヨーガ行者たちは、心作用を統御・止滅させる手段としてヨーガを重視した。そのようなヨーガの伝統は、タントリズム興隆期に明らかな変化を経験した。タントラ的ヨーガは、実践者の心作用を統御し、止滅させる方向にではなく、活性化・増強する方向に働かせる。

タントラ的ヨーガでは、心作用は、「俗なるもの」として否定されることはなく、むしろ肯定さるべき「聖なる」心的・宇宙的エネルギーの活動と考えられた。

「止滅」の道、あるいは現世否定の態度は、「聖なるものの」の顕現を目指すが、その道は、出家僧やヨーガ行者のみがなし得ることだった。時代が下るにつれて、「俗なるもの」が権利を主張しはじめ、「聖なるもの」を犯していたが、この俗化の歴史がインド精神史であるかもしれない、と著者はいう。

私自身が、ヴィパッサナー瞑想を実践しつつも、その背景にある初期仏教の「止滅」の道、ないし現世否定の態度には、どこかで疑問を感じている。その疑問が、実はインド哲学史の全体にかかわる問題であるということを、この本で改めて確認したのである。

仏教はインド哲学のアンチ・テーゼといわれる。この本でも、ブッダの仏教が当時のウパニシャッドの伝統に対するアンチ・テーゼであり、いかに革新的なものであったが具体的に述べられている。インド哲学の伝統全体のなかでブッダの思想がどのように異質で、斬新なものであったかを認識しておくことは重要だと思う。

大乗仏教の興隆期に仏教哲学とバラモン哲学が、互いに批判しあいながらそれぞれの思想を形成していった様子も、分かりやすくまとめられており、興味深い。

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