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脳内現象:批判的考察

◆『脳内現象 (NHKブックス)』茂木健一郎(2004年)

★無限後退
《まとめ》以下でいよいよ、ホムンクルスについての茂木の考えがのべられていく。今後数回に分けてその議論をまとめた上で、彼の主張がどれだけ妥当かを検討していきたい。

私たちが通常の「認知」プロセスを問題にするとき、認知の主体と客体は分離している。その上で主体が客体を認知する。脳内に各領域の神経活動を観察している「ホムンクルス」がいるという考え方は、このよう認知の主体と客体が分離している場合は、認知の主体の座が無限後退していくという「ホムンクする」の誤謬を招く。だからこそ、脳科学は、脳の各領域を自分とは独立の客体として認知するホムンクルスの存在を否定していきたのである。

茂木はむしろ、このような無限後退を招かないような形で、ホムンクルスを再構成するモデルと考えなければならないという。そしてそのプロセスは、主体と客体が 分離されいる通常の認知とは異なるものでなければならない。(190)

★メタ認知的ホムンクルス
《まとめ》目の前のコップを見ている時、そのコップの表象は、自己の一部である神経細胞の活動を、感覚的クオリアとして感じた結果、生じたものだ。外部の客体を観察しているようでも、実際には自己の内側にあるものを認知することしかできない。すべては脳内現象だ。私たちの世界には、実は自分自身の内部をあたかも「外」にあるかのように見渡す、メタ認知しか存在しない。

脳の中に仮想的に構築されるホムンクルスは、各領域の神経細胞の活動について、それを自己の外部にある客体として観察しているのではない。自己の内なるものの関係性を、「外」にあるかのごとく認識するというメタ認知のプロセスを通して、ホムンクルスの「小さな神の視点」は生み出される。すなわち、「メタ認知的ホムンクルス」とでも言うべきモデルに到達するのである。(193)

★どこが新しいのか
これは、物質過程である脳が、こころ=主観性を生み出すことを説明するための、何か画期的なモデルであるのだろうか。これがこの本の到達した結論なのだとすれば、かなり肩透かしをくった感じである。私が、茂木の本に魅力を感じたのは、脳という物質的な過程にあくまでも即しながら、そこから意識が生まれることの不思議さ、説明の困難性をとことん見据えて、それでも追求していこうとする姿勢であった。それを続けていくことが、この課題を解くことの難しさをますます際立たせる方向に向かっていた。

もし、「メタ認知的ホムンクルス」モデルなるもので、何か根本的に問題が解けそうな期待を抱いているのなら、それは大いなる幻想というものだろう。現に、このモデルでどのように仮想ホムンクルスが生じるのか、具体的な説明は何もなされていない。

★神経細胞の関係性が意識を生む
《まとめ》クオリアは神経細胞の活動から生み出される。その関係性が関係性として認識されるためには、脳の中で様々な領域を見渡し、「小さな神の視点」を獲得する、擬似的なホムンクルスの存在が不可欠である。そのようなホムンクルスを構成するためには、人間の脳の前頭前頭野を中心とするシステムで実現しているような、ある程度の複雑さを持った主観性の枠組みが必要である。

神経細胞の活動の間の関係性が主観性の枠組み(ホムンクルス)をつくり、ホムンクルスを生み出す神経細胞の活動と前クオリアを生み出す神経細胞の活動が相互作用することによって、「〈私〉が感じるクオリア」」が生み出される。このような、関係と関係の間の相互作用を通して生まれるさらなる関係性が、人間の意識をささえ、人間の意識のあらゆるところに現われるメタ認知を支えている。(194〜195)

★原理的な溝
以上が、この本のいちばん根本の考え方のようである。つまり、神経細胞の複雑な関係性が意識を生むということ。しかし、これは〈私〉という意識がもっている不思議さが神経細胞の活動と関係性からどう生まれるのかを何も説明したことにはならないだろう。神経細胞がいくら複雑な関係性を成立させたとことで、主観性の不思議との間には、やはり原理的に超えられそうもない深い溝がある。

以前にホムンクルスの無限後退の「誤謬」ということが論議されていたが、むしろ無限後退するところにこそ、意識の原理的な特質があるのではないか。対象化して考え始めれば、それはすでに主観性ではない。それを対象化している主観〈私〉は、それを捕まえようとする手をするりと潜り抜けてしまう。クオリアを感じている〈私〉をどんなに捉えようとしも、つねに対象化された「もの」を超えて「主観」であり続けている。

やはり私には、神経細胞という物質の活動、あるいはそれらの関係によっては説明しきれない何ものかであることを、原理的に明らかにすることこそが必要なように思われる。

★科学からの独立宣言
《まとめ》今日の脳科学の知見に基づいて考えれば、意識は、脳内の1000億の神経細胞がつくるシステム内部の相互作用を、その内部に立ち上がるメタ認知的ホムンクルスの視点から見渡した時に生み出される。そのようなメタ認知的な意味において、意識は存在論とは独立した認識論に属する。

従来の科学は、相互作用するAとBにおいて、AからBがどのように見えるかを問わない。神経細胞ネットワークのある部分から別部分がどのように見えるかも問わない。認識する意識が、そこに生まれるかどうかは、科学的方法論の関知するところではない。神経細胞ネットワーク中に意識が生まれるか否かは科学とは独立の問題だ。しかし現に意識がある以上、世界は意識を生み出すものだという前提から考えざるを得ない。

本書は、「意識がメタ認知的ホムンクルスのメカニズムを通して生み出される脳内現象である」というモデルに達した。このモデルは、意識が生み出される第一原理を解決するものではないが、意識問題の科学からの独立宣言ではある。225〜226

★クオリアと志向性
志向性とは、考える、信じる、見る、など「動詞」表現される心の働きのことであった。もともと「物理現象」と区別して「心理現象」を特徴づけるメルクマールだったのである。心理現象は、それぞれのうちに対象性をもつ。つまり、つねに「〜について」の意識であるということだ。それを「志向性」という。心理現象は、何らかの対象に向けられながら、その対象との物理的接触を必ずしも前提としない作用である。そこに物理作用との違いがある。

茂木自身が、「私たちが主観的に体験する心的状態は、全てクオリアだ」というという立場をとる以上、クオリアとは上で言う意識の志向性と同じである。つまりクオリアという概念のもとに意識と脳の問題を探求しようとする以上、そこですでに従来の科学では説明できない視点を導入したことは自明だったはずである。

クオリアの問題を脳科学の延長線上で考えていこうとすれば、何度もいうように科学そのものあり方が問題とならざるを得ないのである。

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