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自我が揺らぐとき

◆『自我が揺らぐとき―脳はいかにして自己を創りだすのか』(トッド・ファインバーグ、岩波書店、2002年)

★脳研究の中心的な課題
《まとめ》自己の維持にはたくさんの脳の領域がかかわっていて、まとまりのある自己が存在するほうが奇跡としか思えない。さらに両半球が分断されても心の統合が維持れている不思議。
 
脳は神経解剖学的にきわめて多様であるにもかかわらず、統合された「わたし」を生み出す。しかも、自己を形成する主観的な体験に対応する統合された均質な実体は見当たらない。脳の構造がこれほど多様なのに、それぞれの「内なる」視点には、主観的な意識が統合されたひとつのものとして映るのか。

この疑問の回答を求めることが現在の脳研究の中心的な課題となっている。(P165〜P167)

★「目的論」的な視点
ということで、この課題に対する興味深いのはファインバーグの答だ。統合さてた〈わたし〉が生み出される不思議については、茂木の論述と比較すると興味深い。近日中に『脳内現象』の方でまとめる予定だ。

茂木よりも、意識の問題の根源性を深く理解した上で議論を進めている面もある。たとえば、茂木がほとんど評価しない「創発」とう考え方を、その理論の中に充分活かしている。さらに、私がその必要性を指摘した「目的論」的な視点からの考察も行っている。

では、ファインバーグが意識の独立性を認めているのかどうかとなると、非常に微妙なのだが、ともあれ少し彼の理論を追うことで、茂木を批判する視点も鮮明になるかも知れない。

★機械の中の幽霊
《まとめ》私が、腕を上げようと思って腕を上げる。そのとき「内なる私」が行動を発する場所として体験されている。その「私」が、意識的に意志を遂行して腕を上げる。

そして神経内科医が、その「意志」の源泉を私の脳のなかに探し求める。だが行動の源である中心地、統合と統一の物理的な所在地はどこにも見つからない。命令をくだす「私」という「最高司令官」神経細胞は脳にはない。運動システムには、ギルバート・ライルの有名な言葉で言えば「機械のかなの幽霊」は存在しない。統一的な意志の源泉となる場や階層構造のトップは存在しない。

運動の階層と同じように知覚の階層でも、物質的な「最上部」はないようだ。自己という観点から見ると、私は「いま・この」私のなかにある統合された人間として自分を体験している。神経科学は「機械の中の幽霊」を発見できない。ホムンクルスも、内なる統合された「生物的な魂」も見つからない。(『自我が揺らぐとき』P181〜P185)

★「わたし」の痛み
一切の知覚は、「自己」という統一的な場において経験される。痛みは、私の痛みとして「自己」という場において経験される。それは、誰の痛みでもなく、紛れもない「私」の痛みだ。痛みという知覚は「自己」という場に統一されている。一切の知覚を統合し、統一する場がなければ、痛みもかゆみも、寒さも暑さも、うまさもまずさも、美しい音楽も耐え難い騒音も、私の経験とはなりえない。にもかかわらず、入力される一切の情報を統合する「最上部」はないというのだ。だとすれば、入力も出力もいったいどこで統合されて、「私」の知覚や運動になるのか。

茂木は、『脳内現象』のなかでこの問題に果敢に挑戦している。ニューロンの関係性のネットワークにその答えがあるという。しかし、その論証が成功しているとはいないようだ。この点は、『脳内現象』のまとめで追って検討する。

★創発
《まとめ》心のエッセンス、意識と自意識は、物質的な脳の「部分の総和」を越えている。これは、非物質的な心が物質的な脳の多くの部分から「創発」するを意味する。生物における創発とは、階層的に編成されたシステム(有機体)において、複雑なそれぞれのレベルが下位のレベルとは違った真に新しい特性を生み出すときに起こる。創発はまた、予測不可能であり、階層構造の下位レベルについて完璧な知識をもっていても、高位レベルでどんな特性が創発されるかを予測できない。その意味で、創発された特性は「部分の総和よりも大きい」。

創発理論のもう一つの重要概念は「制約」である。人体の各器官は、細胞を制約して酵素を分泌させ、人体は消化器や呼吸器を制約して、生命維持に必要な機能を行わせる。この関係は相互的な場合が多く、例えば肺が呼吸しなければミトコンドリアの細胞呼吸を制約しているが、ミトコンドリアは、酸素からエネルギーをつくることで、肺呼吸に寄与している。

次に重要な概念は、非還元性、つまり創発システムによって創られた総体は、単純に構成要素の特質によって説明することも、構成要素に還元することも出来ないということだ。(『自我が揺らぐとき』P187〜P190)

★創発理論は科学ではない?
以上の、一般的な創発理論を踏まえて、心とは脳の創発的特性であると言えるかどうかを検討していくことになる。

創発理論が高位レベルと低位レベルとの間に見る関係は、アーサーケストラーのホロン理論を思い起こさせる。生物の進化の過程においては、確かに「創発」が生起していると思われるが、しかし、これは還元主義的な科学の考え方とは相容れない。

ある種の実体が別種の実体にほかならない、椅子は分子の集合にほかならないという「存在論的還元」は、科学の歴史上重要な考え方でである。物質は、一般に分子の集合にほかならず、また身体の運動は、神経の筋の生理学に還元されるのである。この考え方からすれば、心が脳の創発であるという創発理論は、科学ではないとされるであろう。

★非物質的な心の創発
分離脳の研究者ロジャー・スペリーは、心は物質的な脳から生じる創発的な現象であると主張した。心は物質的な脳の「部分の総和以上」のものであり、脳の肉体的な限界を超えている。統合された「わたし」は脳全体の神経の階層構造の頂点にあり、それゆれ心は脳には還元できないし、脳のような物質的な存在ではない。一方、心は物質ではないが、脳に物質的現象を引き起こすことができる。したがって非物質的な心は物質的な脳との因果関係をもっていて、脳を制約するとスペリーは言う。

ファインバーグは、これに対して「脳や自己の物質的な頂点は存在しない。心が脳の頂点に現われるという考え方には何の根拠もない」と言う。脳の活動のすべてが物理的に「ひとつになる」ような場所は脳には存在しないからだ。脳が物質で心が非物質なら、非物質である心はどのようにして物質である脳をコントロールするのか。(P193〜P196)

★肉体/エーテル体接触面
こうしてファインバーグは、「分割可能な脳と統合された総体としての自己という内的な感覚との矛盾」を解き明かすほかの方法を探究する。話はいよいよ面白くなってくるわけだ。はたしてファインバーグの解答は満足のいくものだろうか。
 
ところで、「脳が物質で心が非物質なら、非物質である心はどのようにして物質である脳をコントロールするのか」という問いに対しては、『バイブレーショナル・メディスン』のリチャード・ガーバーが全く違う答え方のヒントを出しているような気がする。それが、「肉体/エーテル体接触面」の存在という仮説で、この仮説は間接的にはかなり証明できるものと思われる。

しかし、この仮説が脳の問題についてどれだけ適用できるかどうかは、ガーバーは一切論じていない。後ほど、といってもかなり後になると思うが、この点を検討することになるだろう。

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