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    2017.03.19 Sunday/ -/ / -/ -/ -/ -/ by スポンサードリンク

風土―人間学的考察3・ 砂の文明 石の文明 泥の文明

前回まで和辻哲郎の『風土―人間学的考察 (岩波文庫)』を読みつつ、若干の批判を加えた。この本については後にまた触れるつもりだが、今回は以下の本に触れなが話を進めたい。

◆『砂の文明 石の文明 泥の文明

この本で著者・松本健一氏は、「泥」の風土で農耕を生業とすることで「泥の文明」が生まれ、「石」の風土で牧畜を生業とすることで「石の文明」が生まれ、「砂」の不毛な砂漠を隊商をくんで生活する民が「砂の文明」を生んだとする。これらはそれぞれ和辻のいう「モンスーン」、「牧場」、「沙漠」という、風土の三つの類型に対応するであろう。

泥の文明は、泥土が多くの生命を生むという事実のうえに成り立つという。生命がたくさん生まれるということは、「畏(かしこ)きもの」(本居宣長)としてのカミ(神)がたくさん生まれてくるということである。ここでいうカミとは、ゴッドではなく小さくとも人間を超えるような力をもつといいう意味で「畏きもの」である。天然の恵みもそうだが、病気や天災もそうである。人間の力を超えるものはすべてカミなのである。

一方、砂漠の砂は生命力を含まない。むしろ生命を排除する。水を含まず粒状でバラバラの砂の中に生物が棲むことはできず、植物がその中に根を下ろすこともできない。石の場合はどうか。全体が固定され場所によって薄い表土があるから植物は育つ。しかし石もあまり生命力は含まない。堅い岩を砕いて開発することで何とか植物を育てることができる。

こうした違いに対応して、著者は「泥の文明」の本質を「内部に蓄積する力」と捉える。「砂の文明」の本質は「ネットワークする力」であり、「石の文明」の本質は「外に進出する力」であるという。ちなみに安田善憲氏は、松本氏との対談(『対論 文明の風土を問う―泥の文明・稲作漁撈文明が地球を救う』)の中で、これらを生業のあり方からそれぞれ「稲作漁撈文明」、「遊牧文明」、「畑作牧畜文明」に対応するとし、それぞれの文明の背後にある特徴を「持続型」、「交渉型」、「拡大型」と捉えなおしてる。以下、この対談の内容も参考にしながら見ていこう。

さて「泥の文明」の本質である「内部に蓄積する力」とはどのようなものだろうか。この本では「石の文明」の本質である「外に進出する力」との比較で考えられているので、まずは「石の文明」に触れる必要があるだろう。「砂の文明」については後に触れる機会があると思う。

あらゆる宗教には、裁く神と赦す神の両面がある。それは父性原理と母性原の違いに対応する。キリスト教も、ユダヤ教から裁く神を受け継ぐが、キリストはその両面をもち、マリアは赦しのイメージが強い。この二面性は、とくに自然が豊饒な南欧のカトリックの国々で顕著である。一方、北欧や西欧に広がったプロテスタントの国々には、マリア信仰はない。父性原理の面が強いのである。これらの国々で利潤を生むものは自然の豊饒ではなく、労働である。プロテスタントでは、労働によって得られた富や利潤は労働の正当な対価として人間の手に入る。

自然が南欧ほど豊饒ではない北欧や西欧では、牧場が広がっていても、その表土はきわめて少なく、牧草ぐらいの根の浅いものしか育たないという。表土の下はすぐ石や岩盤であり、そこで可能な産業は牧畜ぐらいなのだ。しかも牛100頭ぐらいの牧畜では一家をやっと養えるくらいだという。牧畜を産業とするにはかなり広大な規模の牧草地が必要となる。しかもその産業を発展させようと思えば、牧草地を拡大していかなければならない。こうして北フランスやイギリスなど石の風土に成立した牧畜業は、不断に新しい土地を外に拡大する動きを生むという。これが、いわゆるフロンティア運動を生み、アメリカ、アフリカ、アジアへの植民地獲得競争を激化させた。つまり西欧に成立し、アメリカで加速されるフロンティア・スピリットは、牧畜を主産業とするヨーロッパ近代文明の「外に進出する力」を原動力としていたというのだ。

近現代の世界史は、西欧による世界征服、世界の植民地化の歴史とってもよく、なぜそのような歴史が展開したかを探ることは世界史の最重要のテーマといってもよい。上に挙げたのはその解釈のひとつであるが、もちろんこの問題については様々な取り組みがなされている。次回以降、和辻の風土論にも触れながら、その一端を紹介していくつもりである。

とりあえず、「石の文明」の「外に進出する力」に対して、「泥の文明」の「内部に蓄積する力」とは何かというテーマに移ろう。西欧では、拠点としての農村都市があり、そこを中心に牧畜のためのテリトリーを拡大し、次々にフロンティアを探していく。しかし「泥の文明」に根ざす農耕は基本的に定住し、そこで富を蓄積するかたちになる。ひとつの田、ひとつの村の内側でどれだけ富を蓄積していくかに力を尽くす。

また「畑作牧畜文明」地帯での麦作は、麦を蒔いて、麦踏みをし、刈入れする程度で農作業が単純であるため、奴隷を酷使し農耕地の面積を広げていけば生産性が上がった。そのため森林を一方的に破壊して農耕地を広げ、家畜の頭数を増やしていった。これに対して水田稲作農業は、作業工程がはるかに複雑で、種籾選びや苗代作り、田植え、水の交換など、蓄積された高度な技術が必要である。だから稲作は、生産意欲のない奴隷には任せられない。

そこでの技術革新とは、生産力を高めるための品種改良、品質管理、あるいは家の維持のための貯蓄、教育水準の高さ、さらには村(共同体)の繁栄のための相互扶助的な経済システムといった分野で発揮される。これが「内部に蓄積する力」である。拡大というよりも持続と守りを特徴とする。

和辻は、モンスーン的湿潤性と人間のあり方を直接に結びつけて、その特徴を「受容的・忍従的」とした。モンスーン的湿潤性は「泥の文明」を生み、「泥の文明」は水田稲作を特徴とする。それは「石の文明」がもっている「外に進出する力」の能動性に比べればたしかに受動的と言えるだろう。しかし、持続的に内部に蓄積していく発展の仕方は、単純に「受容的、忍従的」とは言い切れない積極性や能動性をも隠しもっているのではないだろうか。和辻の風土論は、モンスーン的湿潤性と人間の性格とを余りに一元的に結びつけることで何か大切なことを見落としているのではないだろうか。

《関連図書》
森から生まれた日本の文明―共生の日本文明と寄生の中国文明 (アマゾン文庫)
対論 文明の風土を問う―泥の文明・稲作漁撈文明が地球を救う
砂の文明・石の文明・泥の文明 (PHP新書)

《関連記事》
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