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    2017.03.19 Sunday/ -/ / -/ -/ -/ -/ by スポンサードリンク

一神教vs多神教

◆『一神教vs多神教』(新書館、2002年)

この本の主張は、すこぶる面白く、二重の意味で刺激的だった。 ひとつは、一神教は、差別され迫害されて恨みを持つ人々宗教であり、その被害者意識が外に向かう攻撃性になるという、この本のテーマそのものによる。これをユダヤ教、キリスト教の成立過程などから興味深く論じている。

もう一つは、自我は幻想だが、必要悪であり、人間は自我という病から抜け出す ことはできないという岸田の基本となる説による。この、自我=幻想論が随所にでてくる。かつて、この説に反論を加える小論を書いたが、この本でもやはり彼の限界になっており、もう一度批判を加えたいと感じた。(かつての小論は、以下を参照のこと→真の「自己」の幸福論

しかし、この本のテーマそのものについては、ユダヤ教、キリスト教と西洋文明 の関係を鋭い洞察力で論じた本だと思った。対話だから、肉付けや裏付けは不十分 だが、骨子は一貫性があって、説得力をもっている。これが学問的な肉付けをともなうなら、かなり衝撃的な理論ということになるのだろうが。  

一神教は、迫害され恨みを抱いた人々の宗教である。一神教の元祖であるユダヤ 教は、迫害されて逃亡した奴隷たちの宗教、迫害され差別された人々の宗教だったために恨みがこもっている。ユダヤ民族は、出身がばらばらの奴隷たちがモーゼに 率いられてエジプトから逃亡する過程で形成された「民族」で、同じくユダヤ教自体も、その逃亡過程でエジプトのアトン信仰の影響を受けながら、純粋な一神教へと形成されていった。

一般に被害者は、自分を加害者と同一視して加害者に転じ、その被害をより弱い 者に移譲しようとする。そうすることで被害者であったことの劣等感、屈辱感を補 償しようする。自分の不幸が我慢ならなくて、他人を同じように不幸にして自分を 慰める。  

多神教を信じていたヨーロッパ人もまた、ローマ帝国の圧力でキリスト教を押し 付けられて、心の奥底で「不幸」を感じた。だから一神教を押し付けられた被害者のヨーロッパ人が、自分たちが味わっている不幸と同じ不幸に世界の諸民族を巻き込みたいというのが、近代ヨーロッパ人の基本的な行動パターンだったのではないか。その行動パターンは、新大陸での先住民へのすさまじい攻撃と迫害などに典型的に現われている。

ずいぶん乱暴な議論と感じられるかも知れないが、実際は聖書や他の様々な文献 への言及も含めて語られ、かなり説得力があると感じた。

岸田は、一神教を人類の癌だとまでいうが、それは一神教の唯一絶対神を後ろ盾 にして強い自我が形成され、その強い自我が人類に最大の災厄をもたらしたからだ。 さらに一神教は、世界を一元的に見る世界観であり、その世界観がヨーロッパの世界制覇を可能にした。まずは、キリスト教化されたローマ帝国が、キリスト教を不可欠の道具としてヨーロッパを植民地化した。そのキリスト教によって征服されたヨーロッパが、それを足場にして世界制覇に乗り出したのだという。

岸田は、自我というのは本能が崩れた人類にとっての必要悪であり、病気である という。強い自我というのは、その病気の進行が進んでいるというである。だとすれば、必要悪である自我を、あまり強くせず、いい加減な自我を持ったほうがいい、つねに自我を相対化し、ゆとりのある多面的な(多神教的な)自我のほうがいいという。

私が批判したいのは、ゆとりのある柔軟な自我の行き着く先に自我を超えたあり 方(たとえばクルシュナムルティのような)があることを岸田が認めないことだ。 自我や宗教は必要悪だが、どうせなら多様を許容しうる多神教やそれに基づく自我の方がましだ、というのだ。幻想から目覚める可能性を認めないのが岸田の限界のあのである

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魔女とカルトのドイツ史

◆『魔女とカルトのドイツ史』(浜本 隆志、講談社現代新書)

■集団妄想としてのカルト
この本は、集団妄想によって引き起こされる異常な宗教的・社会的行動をカルトと呼ぶ。そしてナチスの「ヒットラー・カルト」は突発的に歴史上にあらわれたものではなく、中世の「ハーメルンの笛吹き男」伝説から「子供十字軍」、ペスト時におけるユダヤ人大虐殺、魔女狩り等々の形で連綿と続いていたという。

ヨーロッパ各地でも集団妄想やカルトは生じているが、とくにドイツでは、各国に比べてその規模が大きく、被害は甚大である。本書は、中世から現代に至るドイツで集団妄想がどのように発生したのか、そのメカニズムのドイツ的性格は何かを考察している。その中で、キリスト教と、それ以前の基層文化(ケルトやゲルマン)との関係にも言及されているが、その際ケルト文化への視線は、かならずしも肯定的なものではない。

■宮崎アニメとケルト文化
ところで『宮崎アニメの暗号 (新潮新書)』は、宮崎作品に大きな与えたケルト神話について述べている『風の谷のナウシカ』における科学と自然の対決は、すなわち文明の側と森の側の対決を意味しており、それはそのままローマとケルトの関係と相似形をなしているという。ナウシカは、森を敵視することなく、森に畏れを抱き、それと一体化することで深き叡智を発見することができた。2000年以上前に、ケルトの森でそれを実践していたのがドルイドと呼ばれる宗教者たちだったという。欧州の中世の森には「魔女」がおり、さらにさかのぼれば「森の人ケルト」のドルイドがいた。彼らは、キリスト教やローマ文明というその時代の中心からすれば、辺境の地に生きる反体制者だった。ということで『宮崎アニメの暗号』と『魔女とカルトのドイツ史』とでケルトへの見方がどのように違うかを比較しつつ、この本を論じたい。

■ユダヤ人差別の深層心理
影の現象学 (講談社学術文庫)』において河合隼雄はいう、ナチスドイツは、すべてをユダヤ人の悪のせいであるとすることによって、自分たちの集団のまとまり、統一性を高めた。集団の影の面をすべて、いけにえの羊に押し付け、自分たちはあくまで正しい人間として行動する、と。ユングは、ナチスの動きをキリスト文明においてあまりに抑圧された北欧神話の神オーディンの顕現と見ていた。本能の抑制を徳とするキリスト教への、影の反逆であると理解したのである。

岸田秀は『一神教vs多神教』のなかで次のようにいう。一般に被害者は、自分を加害者と同一視して加害者に転じ、その被害をより弱い者に移譲しようとする(攻撃者との同一視のメカニズム)。そうすることで被害者であったことの劣等感、屈辱感を補償しようする。自分の不幸が我慢ならなくて、他人を同じように不幸にして自分を慰める。 多神教を信じていたヨーロッパ人もまた、ローマ帝国の圧力でキリスト教を押し付けられて、心の奥底で「不幸」を感じた。だから一神教を押し付けられた被害者のヨーロッパ人が、自分たちが味わっている不幸と同じ不幸に世界の諸民族を巻き込みたいというのが、近代ヨーロッパ人の基本的な行動パターンだったのではないか。その行動パターンは、新大陸での先住民へのすさまじい攻撃と迫害などに典型的に現われている。

西欧人がユダヤ人を差別するのは、西欧人がローマ帝国によってキリスト教を押し付けられ、元来の民族宗教を捨てさせられ、元来の神々を悪魔とされたところに起源がある。そこで本来ならローマ帝国とキリスト教に向くはずの恨みが、転移のメカニズムによって、強者とつながりのある弱者に向かう。強者に攻撃を向けることは危険だからである。ローマ帝国や、自分たちがどっぷりつかっているキリスト教を攻撃できず、キリスト教の母胎となってユダヤ教を攻撃するのである。つまり反ユダヤ主義は、深層においては反キリスト主義であるという。

■ナチスとゲルマン・ケルト文化
ルイス・スナイダーの『アドルフ・ヒトラー (角川文庫 白)』(角川文庫)では、ヒトラーの反キリスト教的な考え方について述べている。「彼はキリスト教を、ドイツ人の純粋な民族文化とは無縁な異質の思想として排斥した。『キリスト教と梅毒を知らなかった古代の方が、現代よりもよき時代だった』とヒトラーは述べている。」 一部のナチ党指導者たちは、キリスト教を完全に否認した。そのかわり、彼らは「血と民族と土地」を崇拝する異教的宗派の樹立を望んだ。新しい異教徒たちは、オーディン、トールをはじめとするキリスト以前の古代チュートン人の神々を復活させた。旧約聖書のかわりに北欧神話やおとぎ話を採用した。そして新しい三位一体――勇気、忠誠、体力を作り出した。

岸田は、「反ユダヤ主義は、深層においては反キリスト主義である」と述べたが、ヒトラーおよびナチにおいては、深層においてどころか声高に反キリスト主義が叫ばれていたのである。西欧の反ユダヤ主義の深層には、確かに自らの文化の中核をなすに到ったキリスト教への反感があり、それが、ナチズムのような「退行」的な現象においては、はっきりと表面に出てくると言えるのかもしれない。

『魔女のカルトのドイツ史』では、キリスト教以前のゲルマン、ケルト文化とドイツの集団妄想やナチスの思想との関係をやや別の角度から指摘している。著者によればヒトラーは、キリスト教文化の背後にある基層文化を意図的にナショナリズムに結びつけて利用した。ヒトラーが政権を掌握した祝いとしてベルリンで盛大なたいまつ行列が行われた。この演出は、ゲルマンの火祭りを連想させ、人々に古い過去へのノスタルジアを引き起こした。他にもナチスは、多くの「ゲルマン風」の集会を行っている。ナチスは、ゲルマン的な民族主義にもとづいて、「世界に冠たるドイツ」というスローガンを標榜したのである。

■なぜドイツで
歴史上の集団妄想やカルト集団は、その徹底性、犠牲者数、被害の規模という点で、イタリヤ、スペインなどの南欧に比べると、北欧のドイツが群を抜いていた。その理由はどこにあるのか。著者は、それぞれの基層文化の違いに注目している。南欧型の基層文化は、もともと地中海地方の地母神的な多神教に由来している。そこには、人々の鬱積した不満を解消し、社会の「安全弁」になるような開放性があるという。他方、北欧型の基層文化は、北方ゲルマンの長い冬、陰鬱な気候、きびしい自然のなかで育まれ、「森の民」ケルトの樹木(オーク)信仰、自然崇拝を受け継いできた。元来それは、男性的、父権的であり、きまじめで禁欲的であった。それがキリスト教的な父権制と重なり、ドイツではさらに増幅された。ゲルマンの主神たちは、荒々しく闘争的で、とくに最高神オーディンは、「嵐の神」、戦争をつかさどる神である。

ドイツ地域がキリスト教化される過程において、ローマ・カトリックはゲルマンあるいはケルトの信仰と摩擦を起こした。両者の父権的特性は一面で共通していたが、一神教は異教の神々を容認するはずがなかった。ドイツの地は、表面的には完全にキリスト教化され、アニミズムや異教的要素は歴史のそこに沈滞してしまったようにみえる。ところがゲルマンの神々は、キリスト教化されるプロセスで、その多くは悪魔やデーモンにおとしめられたり、デフォルメされたりしながらも、深層で脈打っていた。こうして北欧の民族性は、抑圧されたフラストレーションを内在させ、突然、それを爆発させて攻撃的になりやすい。

魔女狩りは、古代の抑圧されたアニミズムが噴出した一例とされる。魔女狩りは、ルネサンスの時期以降から蔓延しはじめた。この時代は、中世のキリスト教の桎梏から解放され、人間性や合理性が勝利したかに見えた。しかし反面、中世では禁じられていた古代の占星術や呪術、魔術が復権した時代でもあった。多くの農民たちが持ち続けていたアニミズム的な民間信仰も抑圧を解かれた。大きな時代の転換点で、その価値観の亀裂のなかから基層文化の非合理的なマグマが噴出してきた。それが魔女信仰を醸成し、魔女狩りの背景となったと著者は捉える。

ドイツ地域がキリスト教化される過程において、ローマ・カトリックはゲルマンあるいはケルトの信仰と摩擦を起こした。キリスト教の父権的特性は、ゲルマンのそれと一面で共通していたが、一神教は異教の神々を容認するはずがなかった。ドイツの地は、表面的には完全にキリスト教化され、アニミズム的な要素は、歴史の底に沈滞したかにみえた。ところがゲルマンの神々は、キリスト教化されるプロセスで、その多くは悪魔やデーモンにおとしめられたり、デフォルメされたりしながら、深層では脈打っていたのである。

異端狩り、中世のユダヤ人狩り、魔女狩りなどとナチスのユダヤ人迫害との間には何らかの連続性がある。ひとつの共通点は、ステロタイプ化された「陰謀の神話」である。たとえば異端狩りと魔女狩りでは、「秘密集会」や「魔術の行使」などほとんど一致する捏造された迫害理由が挙げられる。またヒトラーは、「シオンの議定書」なる陰謀書類をでっち上げて、ユダヤ人「撲滅」作戦の理由とした。もっと根源的な共通性は、古代ゲルマンから連綿とつながる非合理主義の系譜であり、表層のキリスト教的な文化の下に胎動するゲルマンのどろどろとしたデーモンであった。キリスト教によって抑圧された、ゲルマン的な非合理な熱情が噴出するときに集団妄想による破壊や殺戮が起こるのではないか、というのが著者の捉え方である。

■アニミズムの意味をめぐって
以上からも分かるように本書の著者は、北欧の基層文化、古代ケルトやゲルマン源を発するアニミズム的信仰、呪術や魔術への熱情をかならずしも肯定的に捉えてはいない。もちろん、著者も南欧型の基層文化には、鬱屈するフラストレーションに対する「安全弁」の役割もあることを指摘している。だから古代文化そのものを否定的に捉えているわけではないだろう。しかしゲルマン的な背景が、ドイツを中心として集団妄想やカルトの歴史において重要な要因になったことは事実として指摘している。

一方『宮崎アニメの暗号』(新潮社、2004年)において青井汎は、宮崎駿が「科学」とその大元にある「唯一神」という二つの絶対的な「神」に対して、憤りを抱いていたという。それに対して、太古の時代には、人はカミとも動物とも隔てなく、同時に存在することができた。「動物に対して一方的な人間」「自然を軽視する科学・産業」「人に対する絶対的な神」が世界を覆い尽くすことはなかった。そのように、人と森、人と動物、人と万物の平等な関係が崩れていなかった時代として、古代ケルトやゲルマンの文化をも積極的に評価しているのである。

私自身は、宮崎的な視点に深い共感をいだきつつ、一方で現代科学文明や抑圧的なキリスト教との関係で古代文化が担ってしまった、あるいは担わされてしまった不幸な機能にも冷静に目を向けていきたい、いかざるをえないと思った。『魔女とカルトのドイツ史』は、そんなことを考えさせる本であった。

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「わたし」は砂鉄の中の磁石(ゴエンカ)

◆ゴエンカ

‥‥『わたし』という大きな執着の対象がある。
自分、自我、自分のイメージに対する執着だ。
だれにとっても『私』は世界じゅうでいちばんたいせつな人間である。
『わたし』は、まるで砂鉄のなかに置かれた磁石のような行動をとる。
磁石はいつのまにか自分を中心にして砂鉄をならべえ、きれいな模様をつくりあげる。
『わたし』もまた、いつのまにか好きなものを引き寄せ、嫌いなものをはねのけ、
本能的に自分の好みにあわせて世界をならべかえようとする。」

ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門―豊かな人生の技法』ウィリアム・ハート(春秋社)

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本気(坂村真民)

◆坂村真民:本気 

本気になると
世界が変わってくる
自分が変わってくる


変わってこなかったら
まだ本気になっていない証拠だ

本気な恋
本気な仕事


ああ
人間一度
こいつを
つかまんことには



 ※『詩集 念ずれば花ひらく

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苦痛があるときだけ(オリン)

◆オリン

自分の内側にすでに苦痛があるときだけ、他人はその苦痛に引き金をひきます。



 ※『パーソナル・パワー―光の存在オリン、人間関係とテレパシーを語る』より

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最も恐れているのは(A Course In Miracles)

◆A Course In Miracles

私たちが最も深く恐れているのは、
私たちが不充分な存在であるということではない。
私たちが最も深く恐れていることは、
私たちが計り知れないほどに
力に満ちた存在であるということである。
私たちを最も怯えさせるのは
私たちの闇ではなく、光である。

 
 ※『愛への帰還―光への道「奇跡の学習コース」』より

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神話は社会の夢

◆キャンベル

神話は社会の夢であり、夢は個人の神話である。


 ※『神話の力』(p90)より

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自分を愛するということ(タデウス・ゴラス)

◆タデウス・ゴラス

自分を愛するということは、
エゴを甘やかせ、巨大化させることとは違います。
エゴイズムとは自分のことが大嫌いなのに、
自分は偉いのだ、大したものなのだと証明しようとすることです。

自分を愛すればあなたのエゴは消え、
自分は人よりすぐれているのだなどと
証明する必要を、もう感じないですむようになるのです。

  
 ※『なまけ者のさとり方 PHP文庫』(PHP文庫)

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気楼から蜃気楼へ(スティーヴン・レヴァイン)

◆スティーヴン・レヴァイン

われわれは一瞬一瞬、心に浮かんでくるものと同一化し、
それが浮かんでいる空間に目を向けることはめったにないため、
自分の本性に気づかない。
そして、蜃気楼から蜃気楼へと、瞬間的心から瞬間的心へとよろめきながら、
『この欲望が私だ』『この心が私だ』『この渇望が私だ』
という感覚に自分を見失っているのである。

 
 ※『めざめて生き、めざめて死ぬ』より

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恐怖と怒り(ケン・ウィルバー)

◆ケン・ウィルバー

本来つぎめなのい意識を、主体と客体に、
自己と他者に引き裂くときはいつも、
その自己は恐怖を覚えるということだ。
理由は単純。
今やあまりに多くの「他者」がいて、
それがみな危害を加える可能性ともっているからだ。
‥‥この恐怖から怒りが生じてくる。


 ※『グレース&グリット―愛と魂の軌跡〈上〉』より

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